日常の小さな発見が
ほんとに楽しくて
だけど
ちょうど真ん中の娘を妊娠して
しばらく経ったあたりかな、、
3歳まで続いた長い母乳育児にも
終わりを告げようと
断乳して
イヤイヤ期も赤ちゃんがえりも
ピークだったのかなというとき
息子から
ママ嫌い!という言葉を
よく聞くようになって
食事やお風呂や歯磨きやお着替え
保育園に行くことなど
日常生活のすべてに
全力で拒否される癇癪の日々が
はじまりました。
子どもを理解したいからこそ
この子の心はどうなっているの?
わたしの愛情が足りないのかな?
もっと甘えさせてあげたいけど
ママ嫌いと癇癪を起こし
抱っこさえさせてくれない我が子
何でもイヤイヤという
子どもの要求にどこまで応えたらいいのか
迷うわたし
感情も激しく揺さぶられる毎日に
精神的にも体力的にも疲れていました。
今思えば
子どもに寄り添うことだけが
子どもの要求に応えることだけが
愛情と思っていたし
癇癪という
"問題"に思える状態を
何とか回避したくて
そのために
どうしたらいいのか?を
模索していました。
もちろん
そんな日々も目の前の子に
辛い思いをさせたくなかったから
なんだけど
癇癪を起こすほど
何かを全力で訴えていた
目の前のこの子を
そのまま丸ごと受け入れる
その視点はなかなかありませんでした。
だから
癇癪を起こすのは
わたしが今まで自由に子育てし過ぎたせいだ
何でも許し過ぎてけじめがつかなくなったんだ
そんな風に
わたしの子育てに結びつけていたし
2人の時間をたくさん作ろうと
頑張っても
癇癪を起こすということは
何も変わらなくて
こうしたらこうなるはず
なのに
全然変わらない、、と
落ち込んでいました。
でもある時
子育ての学びを通して
癇癪を起こす問題のある子という
わたしの見方が
癇癪を起こすほど
毎日外の世界で人一倍頑張っている子
という風に変化した時
初めて
わたしの内側で感じるものが
ガラリと変化して
彼が癇癪を起こすことが
初めてわたしの中で
問題ではなくなって、
いつでも安心できる
お家にしておくことが
わたしの1番大切にしたいことに
なりました。
そして
彼にとって一番
安心できるお家だったから
信頼できるわたしだったから
ありのままの姿を
出してくれていたことに気づいた時
胸に込み上げるものが
ありました。
大人から見て問題のように感じる
子どもの状態というのは
ただの結果で
それはその子にとって
きっと、今のベストな状態。
癇癪を起こす子
落ち着きのない子
理解の難しい子という
ラベリングをすることなく
その子を丸ごと受け入れて
じゃあどうしようか、
もっとお互いに心地良く過ごすために
どうしていく?と
ありのままのその子を
理解しようとしながら
そして
育てる側にも
理解や共感のまなざしを
注ぎながら
これからの未来を
話すことができる環境や人の存在は
子育て中とっても大事だなって
思っています。
だけど、
毎日のことなら
見方を変えることだけでは
どうにもならないことだってあります。
だからこそ
頑張るママたちが
1人で抱え込まずに
安心して話せる場が広がりますように☺️🫶