徐々に夏の兆しが近づいてますね。もう7月だから夏だろうというところなのかもしれないが・・・。
今年は冷夏というからそこまで暑くはならないのだろうか?
イベントというのも、今年はあまり行かないような気もするが・・・。
いま 自分が恵まれているのか、どうなのかわ分からん。
上も下も見れば見るほどいるものだ。
ただ自分自身に収束するしかない。
いま、DESIRE<デザイア>というゲームをやっているのだが(剣乃さんがシナリオ書いたやつです)、んー よくはわからん。 まだ物語中盤だからかな?
たまにはゲームっていうものも良いもんです。非現実世界への逃避と転移。
欲望ね・・・。
少し小休止で、別の話題です。
趣味とまでは言えないのだが、そしていま空前のマラソンブームというやつに乗っかるつもりもないのだが、長距離走を数ヶ月前から始めている。
肉体を耕すワーク。 42.195に関してはネットタイムで3時間47分少々がベストです。ハーフは1時間38分。まずまずというところだろうか?
ランニングというやつは、心肺機能と脚力のバランスが大切です。 どちらかが秀でていても、自分のベストの走りというのはできない。
逆にどちらに自分のウエイトが傾いているかがわかれば、それを補てんする練習をすることで飛躍的にタイムは伸ばすことができる。
最初のフルは私も5時間台でしたが、それから4年のブランクが空いた状態でも ある程度の練習だけでサブ4(4時間切り)です。
脚力トレーニングには、普段のランニングももちろんですが、自転車で長距離を走ることやスクワットがやはり効果的でした。 また、レース中の脚筋の痛みは栄養の欠乏が主な原因であるようなので、食事をたらふく食べ 栄養補給をしっかりすることで防ぐことができました。
心肺トレーニングには、普段の走りにスピード走を入れることや、私の場合 占術師がら呼吸というものに意識を置いているので、シルクのような呼吸を常々心がけることで心肺機能を高めることができます。
まあこれらは、あくまでアマチュアの走力向上といった感じですが。
あとまだ自分なりに工夫している点はあるのだが、またそれは追々。
次回はサブ3.5(3時間半切り)を目指したいところだが。
剣乃さんのシナリオは本当に興味深かった。
「時は可逆・歴史は不可逆」っていう それ。
タイムマシンがあるとして、実際に歴史を遡ったとしても それを遡ったという歴史は遡ることはできない。
「私」という主観があるかぎり、その主観が経験した歴史を遡ることは決してできないのだ。
スピリチュアルな物事に対して思うこともそうだが、仮にどんな輪廻や死後の世界、パラレルワールド、タイムトラベルがあったとしても、すべてはこの「私」が存在して初めて成立することであり、「私」が存在しなければ全ては存在しないに等しいのだ。
霊的進化 という言葉はある意味浅はかだと言える。
かつてルドルフシュタイナーは人間の霊的上昇性をルシフェル・霊的下降性をアーリマンと定義し、どちらも悪魔であると言った。
進化の方向性が上昇への熱狂的なベクトルを持つにしろ、下降への無機質なシステム化へのベクトルを持つにしろ それは世界を構成するただのファクターにしかなりえないということだ。
近代スピリチュアリズムの祖(?)と言われるシルバーバーチも、「霊的進化の先に何があるかはわからない」と言っているんでしょう。
それでもとりあえずこの世は修行だから頑張りなさいね というのは、いかがなもんだろうか。
「私」というものが存在することに意味がある・意味がない という前に、理屈抜きにして ここに私が存在していることが問題なのである。
後付けの理論などはどうでも良いのだ。
今日はけっこうな残業になるかとおもわれたが、わりかし早く帰れた。
占いというのは二つの側面があり、1つは本質や性格の診断、もう1つは将来の傾向などの運命診断。
ユング心理学的な部分からも、天体の運行による運命の診断というのは、どちらかと言えば天体から受ける影響により自分自身の精神活動の変化により 周囲の環境が変化していくということを読み解くというほうが適切だろうと思われる。
つまり、恋愛において良い意味の天体のアスペクトがあったとしても、それは外側から運命的な異性や相手がやってくるのではなく、自分自身の内面が変容することによって、相手が引き寄せられるという風に解釈をした方が良いのではないかと思う。
だからといって、シンクロニシティということから考えると、出会いの機会を作る努力や行動力が必要というわけでもないのではないだろうか。
むしろ行動力や努力はかえって仇となる場合が多々ある。
というわけで、どちらかと言えばウエイトは性格診断の方に置いたほうが、正確な未来の構図というのは見て行きやすい。
かといって天体の運行が、実際に起こる出来事を予見できないということでもないようだ。
これは経験上だが、アスペクトを形成する時期に運命的な出会いが起こっているというクライアントも実際には居た。
あくまでもウエイトの話だ。
その比重の前後はあるが、やはり占いには性格と運命の二つの側面がある。
ブリンダの木の関連で知った。剣乃さん、去年の暮れに亡くなっていたのか・・・。
人間の生と死、人はどこから生まれて何の為にいき何処へ死んでいくのか。
死後は無か、それとも死後もなお何らかの形で私達というパーソナリティは存在し続けるのか。
日本には「袖触れ合うも他生の縁」という言葉があるが、他生=前世が当たり前のように存在しているかのような言いっぷりだ。
縁起という言葉もそう、すべての出来事は縁によって起きている。
さて、某氏が言っていたが 因果という考え方ではなく果因という考え方・・・、まずあるべき未来が決まっていて、そこから過去が派生しているということがありえるかもしれない。
占いは星の運行によって未来を読み解く。
星の運行が、計算と理論の上で何年も先が見えることを前提に、先の未来というのが決まっているとすれば。
物事は未来から過去へと派生し、意識は過去から未来へと向かうということだろうか。
すべての人との出会いが、運命的な出会いだとすれば? 人間に自由意思が少しでもないとすれば?
占いなど必要ない。
ただ起きうる現象を、この意識が観測している という事実が残るだけなのだ。
そこで魂の進化や修行という理論を持ち出す輩がいるが、観測点であるこの意識はただ純粋に存在しているだけであり そこに修行だの魂だのはまったくもって関係ない。
ただあるべきものがあるべき姿でなるように流れていく。
しかし、意志の力によって運命を変える、その方法こそが・・・・。
多くを語ることは、やはり今はよそう。