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おおた氏のアンリミテッド

限りない自由 限りない未来 可能性は無限大


 人類の起源は地球外生命体かもしれないっていう映画が今日から公開ですね。
 なんていうタイトルだったか忘れたが。


 仮面ライダーフォーゼも明日最終回だが、プレゼンターという地球外生命体が最終的なキーになっている。


 
 まあ端的に言えば、人類を作ったのが地球外生命体だったとして、その地球外生命体を作ったのは何者なのかっていうとこ。

 何かが派生した根源は何かを突き詰めれば、すべての根源とすべての終わりが見える。


 
 今日のアンビリバボーで惑星ニビルのことやってた。

 当時、2012年終末論とかニビルとかの件を知ったのが8年も前の話。マスメディアに取り上げられるまでに、これほどの時間がかかるもんなのだろう。 というよりは、当時と比べて終末思想がヒートアップしているということかもしれないが。

 まあ、2012年終末論はデマだと思う。それによって儲ける奴がわりと居るっていうだけのでっち上げ。 どこぞの外国で、終末思想を基盤とした団体が立ちあがって活動が盛んになったとかいう話もあったような。

 終末の死の恐怖(ムチ)とアセンションという救い(アメ)を使えば、ホイホイとついていく人間は腐るほど居るわけだから。


 まあ、この年末に世界が終わることに賭けて、大量に借金なんかしないように。世界が終わることは、現時点ではまだ無いでしょう。 あるとすればもっと先か・・・。



 シュメール文明の話とかはけっこう興味深いというか、気になるが。
 高度な文明というのはあったのだろうか。 

 現実感覚が崩壊してきた。
 ストレス耐性が無いのかもしれんが、色々と大変だなーと思う。
 
 責められるだけの毎日ですわ。
 何が何だかわからん。

 まあ、それすらも一瞬で終わるのかもしれんが。


  生きると言うことは何か・・・探求は終わることは無いかもしれないが。

 安定を求めて仕事をし、安定の為に、一生が終わる。そのようなことでもいいのだろうか?

 改めて、思春期のような考え方に戻っているが、そう考えるのも今必要なことかなとも思う。


 死を意識するのではなく、苦しみを受け入れること。
 不安は漠然だから不安と言える。もし未来に不幸が訪れることが確実だったとすれば?なにも恐れることは無くなる。

 私たちが不安を抱くのは、未来が絶望だからではなく未来が「絶望”かも”しれない」からだ。
 端から未来が絶望であれば、何も心配する問題など無いのだ。

 この世にとっての覚者(悟った人のこと)の必要性は果たして在るのだろうか? すべての人が悟りを開いてしまうと、世界は本当の意味で崩壊(消滅?)してしまうが・・・。
 カウンターバランスと言うべきか、生活の中に睡眠という疑似的な死の要素が必要なように、世界の中にも死を体現する覚者の要素が必要ということなのだろうか。


 わからん。