どーも、子連れおーかみです。


今年初めての投稿ということで、今頃何いってんだって感じですが、明けましておめでとうございます。本年もお願い致しますウインク


所で暦の上の新年は勿論1月1日ですが、風水上では節分が年と年の節目=新年に当たるって事、ご存知でしたか?


だからというわけでは有りませんが、年明けから激務が続き(ていうかそれ以前からですが。。。)、心身共に疲労が蓄積していた事も有り、一段落ついた所で今日は有休を取得しました。


先週月曜から会社のメインシステムが切り替わった事も有って、会社全体がてんやわんやだったんですが、そんな事知ったことかてへぺろ(笑)!


会社が俺の心身の健康を一生保証してくれるのか?って話です。


自分の身は自分で守る、命有っての物種、というのが私の信条なので、そこは躊躇しません。そもほも、やりかけの事を放り出して来たわけでもないし、その辺は正に個人の裁量だと思っています。


そして、昨年10月位から余りにも難題が次から次へと降り掛かってくる為、行こう行こうと考えていたお祓いへ行く為、仙台から電車で30分位の塩釜に有る塩竈神社へ行ってきました。


鳥居の前に屹立する「東北鎮護」と書かれた石碑。そう塩竈神社は陸奥国(今の宮城県、岩手県、青森県、福島県)の一の宮で、JR仙石線本塩釜駅から徒歩10分弱の高台の上に鎮座しています。

そして、この神社の祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)様と武甕槌命大神(たけみかずちのおおかみ)。

何と私が崇敬する香取神宮と鹿嶋神宮の祭神と一緒なのです!

というのも塩竈神社の有る塩釜市は、昔陸奥国の国府(国を治める役所)が有った多賀城の隣町で、かつては朝廷の東北支配の言わば最前線に位置していました。

西洋においてカトリックがスペインやポルトガルの植民地支配の尖兵的役割を果たしたように、神社は朝廷の支配拡大の拠点としての役割を果たしていたという説も有ります。

そもそも経津主神も武甕槌神も国譲り神話に出てくる神様で、その神々祭った香取神宮・鹿嶋神宮は、朝廷の東国支配の出先機関として建てられたのが由来のようです。

そして、その「支店」の更に出先の「出張所」的な位置付けが、この塩竈神社だったようです。

しかし、そんな私のルーツであるチバラギとのご縁を感じながらも、遊びに来た親族や友人を案内して何度か足は運びましたが、お祓いを受けた事は有りませんでした。

塩竈神社で有名なのは、男坂の長くて急峻な石段です。

鳥居をくぐった所から、急な石段が始まります。

直下から見上げるとこんな感じ。傾斜は30度位有るんじゃないか?そんな急な階段をキャリーバッグ片手に、手すりも持たず登っているチャレンジングな若い女性が居ましたガーン。(写真の左上の方に写ってます)大胆と言うか、無謀と言うか。。。

東京の港区に有る愛宕神社にも「出世の石段」と呼ばれる同じ様な急な石段が有りますが、それよりこっちの階段のほうが倍くらい長い気がします。

徒歩で塩竈神社の本殿へ行くには、この男坂ルートと、なだらかな女坂を登るルートと2つルートが有るのですが、本塩釜駅から来る場合は女坂の入口の方が駅寄りに有るので、行きは女坂ルートで行きました。

なので、この写真は帰りに下った後に撮りました。

因みにお祓いは30分くらい待ちましたが、滞り無く終わりました。

お祓いを受けて、気のせいかスッキリしました照れ

もっと前に行こうと思っていても結局延び延びになり、運気の節目である節分の前日に受けることになったのも、何かの縁というか導きだったのかも知れません。

スッキリした所で、明日から「本当の新年」を迎える事ができて良かったです。

やっぱり休息って重要だと思います。

ということで、改めて本年も宜しくお願いしますウインク

それでは、また✋!