どーも、子連れおーかみです。
今日は気持ち良く晴れたので、午後から自室のクーラーの掃除しました。
まずは本体のフィルターを外して洗ってから吹き出し口の掃除。それが終わったら室外機の上蓋を外して、中のファンの掃除。
要は冷房効率を上げる為のメンテナンスなのですが、毎年これをやると夏の訪れを感じます。
今年もクーラーが大活躍するような猛暑の夏になるんでしょうね。。。
さて、昨日に続いて沖縄決戦のレビューです。
第32軍司令部は、6月18日にこの日以降は各グループ毎に司令部の指示を仰ぐことなく個別に戦闘を継続せよとの最後の命令を発し、この命令が出たことで日本軍の組織的戦闘は事実上終了したのでした。
野戦病院は解散され、ひめゆり学徒隊も動員を解かれ、以降は各自自身の運命を自分で決定するよう言い渡されたのでした。
一方同じく学徒動員の鉄血勤皇隊にも解散命令が出ます。摩文仁の司令部でも千早隊に解散命令が出ます。
千早隊隊員A:「軍は解散してそれで良いでしょう!しかし、僕たちは・・・・。」
師範学校野田校長(上写真右から2番目、演:天本英世):「・・・・・」
千早隊隊員B:「この沖縄はどうなるんですか!!」
野田校長:「生きるんだ、自分の為に、生きるんだ・・・!沖縄の為に、生きるんだ!」
千早隊隊員A:「軍は死ねと言いました。日本の為に死ねと言いました。僕たちも本当にそう思っていたんですよぉ!!」
千早隊隊員の悲痛な叫びに、さすがの死神博士もグゥの音も出ません(笑)。
それは冗談としても、散々煽って働かせるだけ働かせておいて、最後は軍は解散するから後の事は知らない、各自勝手にやれ、とは本当にひどい話だと思います。
しかしこのような最後の瞬間に、住民や兵士の命を救う為、自らの責任において降伏するような指揮官が果たしてどれだけいるでしょうか?私の知る限り、数例しか知りませんし、そしてそれを実行した指揮官はもれなく名将として歴史に名を残しています。
だから、ほとんどのケースでは最後は沖縄戦のような状況になると思いますが、沖縄県民の根底に有る日本に対する不信感は、この時の心の傷が理由ではないかと思います。
一方、第32軍司令部の参謀達は大本営報告、遊撃戦指揮、地下工作などの名目の元、摩文仁の司令部を脱出することになります。八原高級参謀以外の参謀達は牛島司令官、長参謀長へ暇乞いをし、次々に壕から出て行きます。
木村参謀:「閣下、お先に失礼します!」
牛島司令官:「気を付けて行け!」
三宅参謀:「閣下、参ります!」
益永大尉:「閣下!」
牛島司令官:「死んじゃいかんぞ!」
長参謀長:「貴公はまだ行かんのか?」
八原高級参謀:「まだです。」
長:「今行った連中は知らんが、お前は脱出に成功する。くれぐれも一気呵成は禁物だ。一日かかるところは三日で行け。」
八原:「はあ。」
牛島:「そう、八原君には是非とも成功して貰わねば困る。」
そう言うと牛島は居室へ引き上げ、八原は長と二人きりになりました。
長:「八原、戦争前、お前とはサイゴンでよく飲んだなあ。「ダニューブの漣」ってえいう映画を覚えてるか?」
八原:「は?」
長:「あれは確か、ホテルマジェスティックの横の映画館で一緒に見たやつだ。あれは美しい映画だった・・・。」
最後の瞬間も近い状況で、過ぎし日のお互いの思い出に浸る長参謀長に、八原も総攻撃を巡る対立も忘れ思わずウルウル来ちゃうのでした(笑)。
因みに、先に脱出した参謀達は、脱出の過程で全員戦死します。
尚、米軍沖縄方面最高指揮官のサイモン・バックナー中将戦死の逸話も登場します。
真栄里の戦線で負傷して横たわっていた一人の日本兵が、近くで車のエンジン音を耳にします。
見ると、米軍の高官らしい人物がジープから降りて前方を視察しているのが見えます。
彼は死力を奮って少し先に転がった小銃に手を伸ばします。
そして標準し、発射します。
見事に命中し、高官は倒れました!そしてこの高官こそ、バックナー中将だったのでした。
バックナー中将は第二次世界大戦中の米軍における最高位の戦死者であり、今現在でもそれは変わらないと言う事です。
しかし、バックナー中将の戦死はこの映画のような小銃による狙撃ではなく、日本軍砲兵の砲撃で飛び散った石灰岩の破片が胸に刺さり戦死した、と言うのが米陸軍公式戦史における記述です。
いずれにせよ、皮肉なことに日本軍は最後の最後の瞬間に「敵将の首を取った」のでした。
しかし、近代戦である沖縄戦は敵将の首を取ったからと言って終わるわけもなく、第3水陸両用軍団長のロイ・ガイガー海兵中将が代行で指揮を執り、23日にはジョセフ・スチルウェル大将が正式な後任となり変わることなく進められます。
夕闇が迫る摩文仁の断崖に、米軍の降伏勧告が鳴り響きます。米軍はマイクで司令部に直接呼びかけられる距離にまで迫っていたのでした。
自決を明日に控え、散髪屋に身なりを整えさせている牛島司令官に八原高級参謀が大本営からの感状を持参します。
満足そうにうなづく牛島に八原は、米軍司令官バックナー中将の戦死も伝えます。
長参謀長は「死出の旅の良い土産が出来た!」と大喜びしましたが、牛島は明日は我が身と言う事なのか、複雑な表情をしています。因みに、田中邦衛はまだこの時点で摩文仁の司令部に居たのですね。
さて、紙面が長くなったのでこの辺で切りたいと思います。
なかなか進みませんが、次か次の次では何とか終わらせたいと思っています。
それでは、また!