どーも、子連れおーかみです。

 

今日からGWに入った方もいらっしゃると思います。私は昨日休暇を取った代わり明日出勤なので7連休ではないです。

 

しかし、今年のGWは天気があまりよくないようですね(>_<)。

 

個人的には残念ですが、まあコロナの事を考えるとそっちの方が良いのかも知れません。


天の配剤の妙と言ったところでしょうか。

 

さて、色々あって中断していた沖縄決戦のレビュー、再開します( ・∀・)。

 

海軍の総攻撃と呼応する為、一度は決定した第32軍の総攻撃ですが、新しい米輸送船団出現で、2度に渡り決行が中止されました。

 

その間も米軍の猛攻撃は続き、特に那覇の西12kmに位置する神山島に据えられた米軍重砲からの猛砲撃が司令部に脅威を与えていました。

 

その重砲を沈黙させる為、船舶工兵が斬り込みをかける事になりました。

 

この下り、大筋とは関係ないのですが、私が好きなシーンなので載せます。

 

 

斬込隊長・西岡少尉(演:樋浦勉):「ダメでした・・・。」

隊長:「だめっ!?」

西岡少尉:「出発間際に撃ち込まれ、3名戦死。決行出来ませでした。。。」

隊長:「馬鹿野郎!一旦出て行っておめおめ帰ってくるやつがあるか!司令部にはもう、今夜決行と報告してあるんだぞ!いけーっ!」

西岡少尉:「はいっ!」

隊長:「今度帰ってきたら、叩き切るぞっ!」

 

そんな隊長は悠長に飯など食べてましたが・・・。

どやされた少尉は部下たちの待つ那覇港口近くのクリ船の所へ悄然として帰ります。

 

曹長:「隊長!」

西岡少尉:(ピストルを外して曹長に渡して)「俺を撃ってくれ!」

曹長:「隊長、もう自分ら隊に戻れんでしょう。どうせ戻れんなら、どうせ死ぬんなら、やった方がいい。神山島で死にましょう!」

 

曹長の言葉に、西岡少尉は決行を決意します。


この曹長、なかなか良い味出してるのですが、鈴木治夫という東宝の俳優で、ゴジラなどの特撮映画の常連だそうです。

 

何とか気づかれずに神山島に上陸した一行ですが、上陸した途端、西岡少尉が突然信号弾を上空へ打ち上げます。

 

 

当然、米軍からの猛砲火を浴び動けなくなります。

 

曹長:「隊長!何をするんです!敵前じゃないですかっ!」

西岡少尉:「いいんだよ、曹長。俺はやつらに、壕の中で威張ってるやつらに俺はここにいるぞっ!てことを見せてやりたかっただけだよ。でも、やるぞ俺はっ!!」

 

 

抜刀して猛然と突撃する西岡少尉。部下も続きます。

 

最終的に重砲3門と重機関銃2丁を破壊して、西岡少尉以下5名が生還します。

 

結局この少尉は生き残りましたが、こういった無茶を強いられる下級指揮官達の苦悩とは大変なものだったと思います。

 

しかし、個人的には信号弾を発射しなければもっと戦果を挙げられたのではないか・・・・、と思ってしまいますが(笑)。まあでも、この信号弾の下りは恐らくは創作でしょう。

 

一方米軍は4月8日になって第62師団の防衛ライン(牧港(まちなと)-嘉数-西原-上原-棚原-和宇慶のライン)に遭遇し、ここで釘付けになります。

 

第62師団の粘り強く巧妙な守備と、軍砲兵隊の98式臼砲なども含めた激しい砲撃で米軍は激しい出血を強いられます。

 

特に嘉数高地の戦いは沖縄戦有数の激戦となり、16日間の戦闘で日本軍は64000人、米軍は24000人に上る死傷者を出しました。

 

嘉数は現在の宜野湾市に有り、第32軍の司令部が有る首里の北東約10kmに位置します。

 

山がちな北部と比較して、平坦な沖縄本島南部には珍しく、嘉数には第七〇高地(西嘉数高地)、第九二高地(東嘉数高地)と呼ばれる2つの高地が有り、第62師団の独立歩兵第13大隊、同23大隊、同272大隊、同273大隊の4個大隊が布陣し、強力な陣地を構築していました。

 

4月9日、米陸軍第96師団歩兵383連隊が西嘉数高地、東嘉数高地に白兵攻撃をかけた事から嘉数高地の攻防戦の火蓋が切って落とされました。

 

米軍の自動小銃と、日本軍の銃剣の戦い。やはり近接戦闘では、連射出来る自動火器が物を言い、日本兵は次々になぎ倒されます。

 

実際この4月9日の緒戦は白兵戦になり、両軍入り乱れた混戦状態となった為、米軍も砲爆撃の支援が出来ず、2時間近く白兵戦が続いたと言われています。映画では、その様子を忠実に再現しています。

 

まあ、白兵戦の様子は正直うーん、と言ったところですが、あくまで映画なので再現できるのはこの程度までなんでしょう。実際はもっとすさまじかったのだと思います。

 

この日の戦闘に限って言えば、日本軍は迫撃砲、機関銃、擲弾筒と連携した組織的な戦闘で米軍を次第に圧迫し、最終的には撃退しています。ただ、主力だった独立歩兵第13大隊は将校以下殆どが戦死して壊滅し、同第272大隊に主力が交代したのでした。

 

その後、同様の激しい消耗戦が米軍がこの高地を完全占領する4月24日まで続きます。

 

その間、海軍は菊水二号作戦と呼ばれる航空特攻作戦を実施します。

 

この映画では、沖縄での陸戦の描写に加えて、海軍の特攻作戦の映像が合間合間に挟まれますが、航空特攻の映像は全て実写フィルムです。


そしてパイロットの学徒出身の予備士官の詩や川柳などが朗読されます。

 

こういった詩や川柳からは、大学や高商出身でいわゆる「インテリ」が多かった予備士官の戦争に対する懐疑や距離を置いた姿勢がよく読み取れます。

 

こちらは海軍ではなく陸軍の話になるのですが、私は過去に知覧の特攻平和会館を訪れた事が有ります。


そこには特攻で戦死した陸軍航空隊のパイロット達の遺書が展示されているのですが、ただただ純粋な若い下士官兵パイロット達の遺書と比較して、学徒出身の特別操縦見習士官(海軍の予備飛行学生に該当)の遺書は、内省的で戦争に懐疑的な姿勢の内容が多かった記憶が有ります。それだけに人間的な苦悩が良く見てとれて、妙に共感できた記憶が有ります。

 

この映画の監督・岡本喜八自身も明治大学出身で、招集され豊橋の予備士官学校で終戦を迎えた経歴(終戦時21歳)の持ち主ですが、海軍の特攻作戦のシーンには結構な時間を割いてします。


想像ですが、沖縄戦に命を散らしたこうした同じような経歴、年齢の学徒出身のパイロット達に、岡本自身が特別なシンパシーを感じていたからなんじゃないかと言う気が私はします。

 

特攻機が米空母の甲板に激突する瞬間の映像も有ります。すさまじいです。雨あられと飛んでくる対空砲火をものともせず、甲板めがけて真一文字に突っ込んで来ます。


これが今の日本人の父祖なのか、と思う凄まじさです。これを見ればアメリカ人が日本人はカミカゼだ、何をやらかすか分からない人種だ!と恐れをなすのも分かる気がします。


撮影している米軍のカメラマンのプロ意識もスゴい!逃げずに衝突の瞬間までカメラで追い続けています。命懸けです。


特攻作戦は成功はしませんでしたが、日本人は恐ろしい、普段大人しくても、最後は自殺攻撃をしてくる民族だという恐れを、アメリカ始め世界に植え付けたのは、正にこれらのパイロット達の国を想う気持ち、執念の結果ではないかと思います。


こうした抑止力というのは、国際関係でも大事だと思います。


いじめでも、普段大人しくてもブチキレるとなにしでかすか分からない、というような子供にはいじめっこも恐ろしくて手を出さないですしからね(笑)。


特攻攻撃が良いことだなどというつもりは毛頭無いですが、こうした貴い犠牲の上に今の日本の繁栄は成り立っている、ということを我々も少しは頭の隅に置いておく必要は有る、と思います。

 

さて、沖縄本島の地上戦ですが、この海軍の菊水二号作戦の影響で、第32軍司令部には再び攻勢論が湧き出ます。

 

長参謀長:「海軍はやっとるじゃないか!必殺の特攻をかけとるじゃないか!俺たちもやろう!必殺の夜襲を掛けようじゃないか!どうなんだ、君の意見は!?」

 

八原:「現状では夜襲は無理です。今の前線は常に浮動してますから、組織的な夜襲はかけられません。」

長:「浮動しているから今だと言うのだ!62師と24師を並列して今夜夜襲をかける!」

 

しかし、夜襲は失敗し2個大隊が壊滅しただけで何ら得るものは無く終わりました。

 

日本軍というのはどうして、こうも堪え性が無いのでしょうか。貴重な防衛戦力を何ら成果をあげる事も無いまま、無駄死にさせてしまったのでした。

 

激戦で日本軍の死傷者は激増し、野戦病院は負傷兵であふれかえります。第32軍直属の沖縄陸軍病院の有った南風原(はえばる)は第32軍の司令部の有る首里の南東約4kmに位置しました。

 

掘ったジャガイモのようにトラックからごろごろこぼれ落ちる負傷兵の山!余りの数にろくな手当もされずに放り出されている負傷兵も沢山いて、まさに地獄絵図です。

 

 

ひめゆり学徒隊の女子学生たちも、負傷兵の担送に手当に大わらわです。

 

外科の主任軍医の比嘉軍医中尉(演:加山雄三)。汚れていてもカッコいい!

 

上原婦長(演:大空真弓)。凛とした感じが婦長然としていて似合ってます。当時30歳位。若いころはとんでもなく綺麗だったんですね!!

 

病院は丘に横穴を掘った壕の中にありますが、壕内は負傷兵のうめき声や水を求める声や怒号が響き渡り、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図です。

 

そんな中、辻町の遊郭の遊女だったしーちゃんが看護婦を志願する為、壕内に入ってきます。

 

 

壕内の余りのすさまじい状況におびえるしーちゃん(右、演:丘ゆり子)。しかし、めげずに軍医を探して壕内を歩き回ります。


この丘ゆり子という女優、なかなか良い演技しているのですが、他の作品では見かけたことが有りません。

 

 

そしてサンバルカンの嵐山長官、ではなく目(さがん、これで「さがん」と読むんですね!)軍医大尉(演:岸田森)に出会います。目軍医大尉は内科の主任軍医ですが、外科の手術をしています。相変わらずポーカーフェイスです(笑)。

 

目軍医はしーちゃんが看護婦志願と知ると、早速手術中の負傷兵の足を持っているように言いつけます。

 

喜びいさんで足を持ったしーちゃんでしたが、目軍医が麻酔無しで、のこぎりで負傷兵の足を切り出したのを見て失神します(笑)。

 

まあ、戦場では実際に有った話のようで、サイパンの野戦病院で同じく志願して看護婦となった女性が書いた「戦火と死の島に生きる」という本でも、同様に麻酔無しで負傷兵の足を切断する話が出てきます。すさまじい話ですね。

 

このしーちゃんですが、コメディリリーフとして目軍医と絡みながら、これから何度も出てきます。

 

長くなったので、この辺で一度切ります。

 

しかし、時間かけた割には映画の時間にして20分位しか進まななった・・・(泣)。

 

それでは、また!