今日は父の日。
私の父が亡くなってから、初めての父の日でした。
父が亡くなったのは昨年の7月。もうすぐ一周忌です。
昨年の今頃は、新しい(これまでより充実した)施設に移転して、これからもっと元気に長生きしてくれる…と期待していました。
しかし、残念なことに充実したケアとは対照的に、身体はどんどん衰弱してしまい、新しい施設に移転後わずか1か月でこの世を去ってしまいました。
92歳。老衰。
人生の殆どを、大病もせず健康に過ごせたので、大往生だとは思っています。
でも、父は100歳まで生きるって思っていたので、私にしてみたら「ちょっと早すぎた」感がありました。
また、義父(旦那のお父さん)もすでに他界しています。
義父はある日、体調を悪くしてER(救急外来)に行き、その数日後に帰らぬ人となってしまいました。
亡くなる数週間前まで本当に普通に元気で、我が家に来て一緒に食事もしていただけに、このショックは計り知れませんでした。
そうそう。うちの父と旦那のお父さんの面白い思い出話しを。
うちの父はアメリカに来た事が無く、義父も日本に行ったことが無いため、直接対面したことはありませんでした。
ただ、義父は第二次世界大戦時に少年飛行兵(年齢が達していたら特攻隊員)だった父の話しを聞いて非常に興味を抱いていました。
義父は年齢的に第二次世界大戦の頃は小さな子供だったので兵役はありませんでしたが、その後ベトナム戦争時に兵役についていました。
幸い?ドイツ駐留で兵役を終えたため、ベトナムでの戦闘に関わることは無かったのですが。
↑またまた、興味深いことに、義父が兵役を終えてドイツを電車で去り、その翌日には往年の大スター、エルビス・プレスリーが同じ列車でドイツに駐留してきたそうです。
話しが逸れてしまいましたが、そのような兵役の経験のある義父は、第二次世界大戦の敵国ニッポンの特攻隊…いわゆる「カミカゼ」になろうとしていた父にすごく興味を持っていました。
もう戦争も終わっているので、それは、敵…と言う意味ではなく、とにかくそのような父に会ってみたいと常々言っていたのです。
実際に対面することは叶いませんでしたが、私が日本に一時帰国した際に、旦那は両親と一緒に過ごしていた日があり、その際にLineのビデオ通話で、私の父と旦那のお父さんを対面させたのでした。
父は片言の英語であいさつをし、あとの会話は私の通訳で行いました。
そんなに込み入った話しをした記憶はありません。
戦争時の話題も結局出ませんでした。
ただ、義父は父と話したことにすごく興奮し、喜んでいたのが印象的でした。
あのときの、父と義父がどちらもいないことが寂しくてたまりません。
アメリカでは、母の日も父の日もとっても重要な日。
カードやギフトを贈ったり一緒に食事したり。
うちは、双方の父親が他界しているし子供もいないため、父の日に特別することはありません。
今日は、近所の公園に夫婦2人でホットドッグBBQをしに行ってきました。
普段、日曜日の公園はとっても混んでいるのですが、今日は心なしか空いていました。
遠くのテーブルでは、若いファミリーがサンドイッチやおかずなどを持ってきてピクニックをしていました。
父の日ピクニックかな?
うちらアラカン夫婦は、ひっそりとホットドッグ。
↓サワークラウト盛りすぎ。ケチャップやマスタードまでつけて見た目悪すぎ!(笑)
美味しかったけど。
遠くにサギがたたずんでいました。
彼もひっそりと。
静かな父の日。
今日は白い菊を買いました。
長く持って欲しいので鉢植えを。
私と旦那のお父さんに捧げます。
世の中のお父様方、Happy Father's Day!
お父さん ありがとう!
亡き父や義父を想うときのメンタル天気:霧雨