日本から半日遅れて、アメリカ中西部は今日母の日でした。

 

 ブーケ2

 

私は子供もおらず、母も他界してしまっているので、正直母の日は自分とはあまり関係ない日・そしてちょっと寂しい日と感じてしまいます。

 

職場でも、どこでも、「母の日に何か特別なことした?」とか「母の日はお祝いされた?」とか 「母の日おめでとう!」なんて言葉が飛び交い、私は完全に蚊帳の外になってしまうから…。

 

アメリカアメリカ では、

母の日はとっても重要で、近辺になるとその話題、かな~~り頻繁に飛び交います。

 

そんな、母の日になるとちょっぴり寂しい私ですが、今日は故人である母に思いを寄せてみました。

 

とりとめのない身内の話しなので、スルーしていただいて全然オッケーです。👍

 

  コスモス

 

母は栃木県北部の農家の出身。

比較的裕福な農家で、使用人もいたそうです。

 

戦時中も大規模な空襲などはあまりなく、東京方面から疎開に来た人たちもいたと話していました。

詳細はあまり聞かなかったけど、もっと聞いておけばよかった。

 

そんな母が、お見合いで結婚したのが父。

父は早くに両親を亡くしてしまい、働きながら定時制の高校と大学に行っていたものの、警察学校の試験に受かったため、大学を中退して警察官になり数年後のお見合いだったそうです。

 

正直、かなり貧乏だったかと思います。

 

このように経済状況の違う2人なのに、どうしてお見合いになったのか、正直謎ですが…。

 

ある意味お嬢様だった母が、貧乏警察官と結婚して…。

その苦労は今ではなんとなく想像できます。

子供の頃は全く考えもしなかったけど。

 

祖母(母のお母さん)も母が心配で、何度もお金を工面したそうです。

 

そして、今でも覚えている。

母が裁縫の内職をしていたことを。

 

お嬢様だった母が内職をどんな気持ちでしていたんだろう。

 

  ハサミ

 

母は社交的で外に出たがる父とは違い、家の中にいることが殆どでした。

 

パートに出たこともありましたが、ほぼ専業主婦で子供たち(兄と私)のお世話や、制服警官から刑事となり、忙しくしていた父のお世話に時間を費やしていました。

父の仕事も軌道にのり、生活もかなり楽になってきていたけど、母は節約家で贅沢なことはしませんでした。

 

かといって、社交的ではないかというとそうでもなく、ご近所さんともうまく付き合っていたし、数は少ないけど学生時代からの友達とたま~に出かけたりすることもありました。

 

また、親戚(私の伯父・伯母や従妹)ともとても仲が良く、電話で彼らと話すことも良くありました。

 

面白かったのは、普段は標準語なのに、栃木の親戚から電話がかかってくると突然豹変して栃木のイントネーションになること。

子供だった私にとっては、人が変わってしまったかのような豹変ぶりが不思議で可笑しくてたまりませんでした(笑)。まさにバイリンガル!

 

    犬

 

実家では、柴犬を飼っていたのですが(その子の名前もロッキー/笑)、お世話はほとんど母がしていたため、私が欲しくて買ったワンコなのに、ロッキーは母のことが一番好きでした。

 

今、私がニャンズのお世話をほぼ全面的に見ていて(旦那は撫でたり一緒に遊んだりくらいしかしない)、ニャンズは旦那のことも好きだけど、圧倒的に私ラブ💕なので、

「あぁ、柴犬ロッキーもそんな感じだったんだな。ペットは正直だな。」とつくづく思います。

 

 猫

 

私が大人になってから、母とは何度か一緒に旅行に行きました。

 

伊豆の熱川温泉、鹿児島、沖縄等…

そして、父と母と一緒にサイパンとテニアン島に行ったこともあります。

 

これが、母にとっても父にとっても、唯一の海外旅行でした。

 

母の夢は、父がリタイアしてから夫婦で豪華クルーズに乗って世界を旅すること。

 

…結局叶えることはできませんでした。😢

 

叶えて欲しかった。

 

せっかく、経済的にも行けるかな…ってなった頃に認知症を患ってしまったのです。

 

最終的には施設に入ることになってしまい、9年前に82歳で亡くなりました。

 

母の人生は、夫を、子供たちを、家庭を支えることに全てを捧げていたような気がします。

 

私みたいに、勝手気ままに生きることが難しかった時代。

 

 

晩年(認知症になる前)、母が口癖のように言っていた言葉は、

 

「お父さんのことも好きだけどね。農家に嫁ぎたかったのよ。土いじり好きだから。」

 

でした。😢

 

家庭菜園もかなり本格的にしていて、ガーデニングも超がつくほど得意だった母。

 

それを生業にしたかったんですね。

 

なんだか、あの言葉を思い出すと切なくなります。

 

母が生きていたら、もっともっと家庭菜園のこと教えて欲しかったのにな。

 

そんなことを考えながら、プランターを眺める母の日でした。

 

 

 

 

最後に、母の日が自分とは関係なく、寂しい日と書いてしまいましたが…

世のお母さんたち、

 

Happy Mother's Day!! 💕

でした!

 

母がいなければ私はこの世にいないし、母には計り知れない愛をもらいました。

 

お母さんには心から感謝です。

 

 

どんな国も時代でも、母の子に対する愛は強し。

 

 

母を想ってるときのメンタル天気: 陽だまり