ずっと、書けなかった

6月に私の人生にとって
大きな大きなできごとがあった


母が、天国へと旅立った


それは、あまりにも急だった

だけど、無意識のどこかでは
小さな予兆は感じていたような気もする


6月はじめの日曜日、
娘と、今年の梅仕事にはげみ、
瓶につけ終わったお昼前、
一本の電話が入った。

母が、急に意識を失って
救急搬送された、という。


すぐに飛行機を調べ、
乗れる便を予約し
その日の夜遅くに実家へ

幸い、その時は、
母の意識も戻り
検査結果も鑑みて
本人が入院はしたくない
(盲目の父がいるので、
自分が入院すると父も困るから、
と、先生にお願いしたそうだ)
という事で、
自宅療養しつつ、
毎週病院に検査にいく、という
ことになった。


この2年間、
どんなに会いに行くよ、
と言っても
コロナがおさまるまで
いいよ、と言って

会いに行くことが
叶わなかったのに
こういうかたちで
帰省となり
その日の夜から
突然介護の日々が始まった

父や兄姉とも
今後について
話したり、

自分も
これは長期戦になるな、
落ち着いたら
一旦戻って
旦那や子供たちにも
理解してもらって
当面は行ったり来たりの
生活になるかなぁ

などと考えていた
矢先に、

しずかにしずかに
母は
いつも寝ている
ベッドの上で
ひとり
旅立っていった


現実を受け入れる事が
なかなかできない自分

だけど、時間はどんどん
過ぎていく

日常と呼ばれる
生活では
子どもたちのことだって
ほっておく訳にはいかない

何を見ても、
母がそこにいて
すぐに涙があふれてくる


昨日まで
母が使っていたものが
ある瞬間を境に
遺品とよばれるものに
なってしまう

その現実を受け入れることが
なかなかできなかった


生きているって?

この世界に
体がなくなることって?

だけど魂とよばれるものは
本当にあるのだなぁ…

それを
母の肉体的な死を通して
実感できた

そうしたら、
かなしいのは
もちろんかなしいけれど

あぁ、母は
ちゃんとそばにいてくれてる

たましいが
からだから
離れて
今は自由になったんだ

だから行きたいとこにも
すぐに行けるし

気になる人のもとへも
すぐに飛んでいって
会いにいけるんだな

それなら
私たち家族のそばに
きっと今もいて、

ちゃんと見守ってくれているし
話したいことも、
どんな気持ちかも
すべてわかってくれている

それが心の底から
感じられたから

だから
前をむけた


母が病院から
動かぬ体で
家に戻り、
荼毘にふされる前日に

ふと、
あぁ、母のたましいは
完全にこの母の体から離れたなぁ、
抜け殻になっちゃったな…
体って本当に
この世にいる間の借り物なんだなぁ

と、
なぜかしみじみ
お線香を弔いながら
感じたのだ

肉体は終わりが来るけれど
たましいは生き続ける

それは
本当のことなのだ

だったら
今、
生きているわたしは

このからだで
いろんなことを
味わい尽くそう

いずれ
わたしもこのからだから
離れて
魂だけになるときが
やってくる

そのとき
ふたたび母と会って、

ずっと見守ってくれてありがとう
私の人生、
なかなか楽しかったよ

あの家族の一員として
産んでくれてありがとう

お母さんが、
お母さんでほんとによかった、
と、
伝えよう


いつか
私が旅立つときに
私の子どもたちも
同じように

わたしが
自分たちの
お母さんでよかった、
思ってくれるだろうか

それは
私の母が
してくれたように

いつも
かけねなく
愛を与えていくことだろう


そう、
世界は愛なのだ

愛が全てなのだ

愛があれば
どんなにつらくても
必ず前を向ける力になる


愛の力で
全ては
動いているのだ

一瞬一瞬を
愛で生きよう

迷ったときは
愛に戻ろう


ALL WE NEED IS LOVE

愛こそがすべて