それでも私は | カラフルな日々

カラフルな日々

自分自身のセラピーや日々の想いを綴っていきます

昨日のコメントのやりとりをしながら
どうにも頭の中で堂々巡りを
繰り返していました

今朝もモヤモヤしていました

「なんか調子悪い」

でも、今日はフラのレッスンがあったので
頑張って行くことにしました

出かける時も、義父母に
「フラダンス教室に行ってきます
帰りは1時くらいになります」
そう言って出てきました

うん、別に平気


レッスンは楽しかったですが、
最後に先生が今後の話をしました

ドレスを作りたい
イベントに出演していきたい
2年後には発表会をしたい

そして、誰に向かって言うわけでもなく

「2年後までに、インストラクターを2人は作りたい」
「自分の手伝いをしてほしい」
そう言っていました

なんだかザワザワしました

別に、私に向かって言ったわけじゃないのに
ドキドキしました

家に帰り
また、いろいろ考えていました
そして出てきたのが

それでも私は…

はこの言葉を言うのが怖いと思いました

昔、父や母に言うのが
怖かったように

今は、旦那に言うのが怖い…

この言葉がスイッチになるから
あの時の父のように
怒鳴り声が聞こえてくるから

旦那が怒鳴るかはわからないけど

あの時の母のように
無視されるから
「もういい」
と見捨てられるから

こっちだ

見捨てられるのが怖い


あの頃
両親の庇護のもとでしか
生きられなかったから


今は?

旦那の庇護のもとでしか
生きていけないから?


私は自分が旦那と対等だと
思っていなかったんだ

私はずっと下で
下僕か奴隷だとでも
思っていたのかもしれない?


「従うことで安全に生きられる」

そう思っていたのかもしれない


今になって思う

「私は対等な人間関係が作れない」


そして、これが理解できない

「夫婦は対等」

父と母

母は病気して父に縋るしかないくせに
父の愚痴や文句ばかりで…

今の私だ


私はずっと母は父のお荷物だと思ってた
母が亡くなるまで

あの日、父が母の枕元で泣いているのを見て
やっと気づいたのに
「父は母を愛していた」

父は母を背負っていたわけじゃない
2人は肩を並べて生きていたんだ

少なくとも父はそう思っていたと思う

じゃあ、母は?
多分、それを受け入れられなかったのかもしれない

「お母さんが言っても、お父さんは聞いてくれないから」
母の口ぐせだった


結局、私も同じことをしてる


「自分に卑屈になっている」


病気になった母はそう生きるしか
なかったのかもしれない


じゃあ私は?


私は「母みたいになってもいい」し

ならなくてもいい