自由とは、どんな境遇にも負けない強さ
今回のテーマは「自由」についてです。
「君は自由か?不自由か?」と聞かれると、大半の人は「不自由だ」と感じる時がある。
「学校の規則が厳しすぎる。携帯ダメ、茶髪ダメ、靴下もうるさい、指定以外のカバンもダメ。」
「スカートは、ひざが隠れてないとダメ。そんな学校はイヤだ。」との声もよく聞く。
また、親の干渉がイヤだという意見もあります。家で自分あてに電話がかかってくると「誰から?」と聞かれる。
意味は、よくわかるし、そのとおりで、誰だって他人から束縛されたくないし、楽をしたいと思うのが人情だ。
規則がなければ、また、お金や時間がいっぱいあれば、うちの親がいなければwどんなに自由だろうと思っている人もいるだろう。
しかし、それは、まだ人生を浅く考えているし、社会の表面だけを見ている。
資産家で世界中を旅行し、贅沢をしながら、働かないで、大変に自由のように見えていても、心は空虚な人もいる。
周りからは、最高の自由の人生であるかのように思われていても、逆に、苦しみ、むなしく、自由である度合い以上に「不自由な自分」に縛られている場合が多々ある。
自由といっても、自分が心の底から「何を」したいと願っているのか。
自由とは、遊ぶ事ではない。浪費することではない。時間があることではない。休日が多いことではない。
気分のまま気ままに生きるのは「放縦」であって「自由」ではない。
自由とは、いかに、自分自身を高揚させていくか、自分自身の目標に向かっていくか
その中にこそ、黄金のような「自由」が散りばめられ、光っているんです。
実は、自由があるからこそ、勉強できる。
自由があるからこそ、学校へも行ける。
学校に行くのを、権利ととるか、義務ととるか。
自由か不自由なのか
自分自身の哲学、知恵をもっているかどうかで、すべてが変わってくる。
「受け身」になったら、どんなに自由な環境であっても「不自由」な自分になる。
「攻め」の一念になれば、どんなに不自由な環境であっても「自由」な自分になれる。
病気の人は、学校に行けない。戦争中の国の子どもも、学校にいけない。
行ける人は、行ける自由がわからない。行けることは最大の自由なんです。勘違いしてはいけない。
アメリカで多発性骨髄腫という病気にかかった青年がいる。
次第に身体が衰えていく、骨の癌です。
彼は、最後の二年間、全身をギプスで固め、車椅子に乗ったまま地域の高校を回り、薬物乱用が、いかに害をもたらすか話をした。
「君たちは、自分の身体をニコチンやアルコールやヘロインで壊してしまいたいと思っていますか?自分の身体が車の中で粉々になってしまえばよいと思っていますか?気持ちが沈み込んで、金門橋から身を投げ出したいと思っていますか?もしそうなら、私にその身体をください!!それを私の物にさせてください!!私はそれが欲しいんです!!私は生きたいんです!!」
(ジュリアス・シーガル「生きぬく力」)
旧ユーゴの戦争のなかで、子どもたちは言っている。
「ぼくにはいろんな夢があったけど、戦争がすべてを奪ってしまった」
「ぼくらの夢は友だちがみんな一緒に普通の暮らしができるようになって、学校へも行けるようになることだ」と。
アフリカのルワンダでも、残酷な内戦(1990-1994)があった。
ある少年は、親を失い、おばあさんといとこ達だけになってしまった。
だれかが働いて暮らしを支えなければならない。
子どもたちの一人は、学校をあきらめざるをえなかった。
結局、この少年が働くことになった。つらくて、何度も何度も朝まで泣いた。
今は、学校に行っているいとこから勉強を教わっているそうだ。(毎日新聞1997年7月19日付朝刊)
そういう人たちに比べたら、日本の高校生は、どんなに自由かということであるけど
それだけでは、環境がすべてを決めるような考え方になってしまう。
そうではない。人間とは、人生とは、そんな簡単なものではない。
有名なヘレン・ケラーを知っているでしょう。
彼女は一歳半で、目も見えず、耳も聞えなくなってしまった。
もちろん話す事もできなかった。しかし、サリバン先生との努力によって、読み書きを覚えハーバード大学
当時は、ハーバード大学に併設された女子学生専門のラドクリフ大学を卒業した。
三重苦、不自由と言えば、これほどの不自由はないかもしれない。
「闇」と「沈黙」だけが彼女の世界だった。
しかし、彼女は、自分の心から「闇」を追い出した。
九歳の時、彼女は初めて自分の声で「暖かいです(It is warm)」と一つの文章を発音出来た。
そのときの「驚きと喜び」を彼女は生涯忘れなかった。
話せないという「沈黙の牢獄」から抜け出すんだと戦って、彼女は勝ったんです。
彼女は負けなかった。誇らかに、希望という「太陽」に顔を向け続けた。
勉強についても、他の学生が楽しく踊ったり、歌ったりしている間に、彼女は「指文字」で教科書を教えてもらいながら、時にはくじけそうにもなった。
「私は、幾度かすべり落ちたり、転んだり、立ち止まったり、離れた障害物にぶつかったり、腹を立てたり、沈んだり、機嫌をなおしたりしながら、重い足を引きづりつつ少し先へ進んでは幾らか元気を回復し、いっそう熱心をふるい起してさらに高く登り、しだいに開けゆく地平線を見はじめるのでありました。一つの苦闘は一つの勝利でありました。」
彼女は、言っている。
「そうだ、心のワンダーランドにおいては、私は他の人と同じ自由を持つであろう」
彼女の勝利宣言です。彼女は「自由」を自分で勝ちとったんです。
「自由」という山頂に自分ではい上がったんです。
(ヘレン・ケラー「わたしの生涯」から引用・参照)















