1、夢を掴んだやつより夢を追ってる奴の方が時に力を発揮するもんでさァ
お久ぶりです、こんばんは、マヨラ13です。
今日は「芸術との語らい」がテーマです。
ただ、「芸術」と言うと、どうしても堅苦しい感じがしてしまう。
でも、鳥の歌を堅苦しいとは、だれも思わないでしょう。
野原一面の花たちを堅苦しいとは、だれも思わないでしょう。
月の光に爛漫の桜が浮かび上がっていれば、だれもが、はっとするでしょうし見とれてしまうでしょう。
青空を見て「ああ、すばらしいな」と思う。
川のせせれぎに聞きほれて、耳が洗われたような気持ちになる。
その心が「美」を愛する心であり、芸術・文化の心なんです。
決して特別のことではないし、本来、一流の芸術も、自然と同じ様に「人をくつろがせたり」「生命力を与えてくれる」ものなんです。
また、女性がきれいになろうとすることも「美」の追及であり、芸術・文化に通ずる。
きれいに掃除をしようとすることも「美」の創造であり、芸術・文化に通ずる。
部屋に、一輪、花を飾るだけで、全体が見違えるようになる場合がある。
和やかになってくる。それが「美」の力です。
芸術の世界は「ほっとする」ものであって、身構えたり、窮屈になったりするものではないんです。
疲れている心を励ましあったり、きゅっと凝り固まった心を、ときほぐし、解放させてくれるのが、芸術であり、文化なんです。
それを堅苦しく感じてしまうのは、芸術が「勉強」の対象になってしまうからかもしれません。
芸術は、まず楽しめばいいんです。
初めから頭で「理解」しようとすると、かえってわからなくなってしまう。
鳥の歌を「理解」しようという人はいないでしょう。
花の野原を「理解」しようという人はいないでしょう。
もちろん、優れた作品のなかには、味わうのに集中と努力が必要なものもある。
しかし基本は、音楽なら、まず無心に「聴く」ことです。
絵画なら、一心にまず「見る」ことです。
見る前に、考えてしまっている人が多いんです。
たとえば、美術館に行くことも、日本では特別のことのようになっている。
ヨーロッパなどは、ごく小さい時から美術館に行く。あたりまえのことであり、特別なことではないんです。
それは一つには欧米の美術館が民主主義の結実だったからかもしれない。
昔、一部の王侯貴族とか大富豪しか美術品を集められなかったし、見られなかった。
それを「私たちにも見せろ!」と言って生まれたのが美術館です。簡単に言うとそういうことです。
「美」を皆で楽しみたいという民衆の欲求の高まりで生まれたものです。
これに対して、日本の美術館は、明治からの近代化にともなって、政府が「わが国にもヨーロッパのような美術館がないと恥ずかしい」と思って、つくったものです。
「官」主導だったから、どうしても「お前たちにも見せてやろう」という発想になってしまう。
「ありがたく思え」と。それでは本当に窮屈で、しきいが高くなります。
今はだいぶ、変わったと思うが、伝統というものは根強いもので、まだまだ、そういう発想が、芸術。文化の世界全体に残っていると思う。
本当のところ、文化は「人を楽にさせる」もので、いばる心は芸術とは反対なんだが、それがわからない人が多い。
自分の心を豊かにし、自分を表現しながら、他の人と何らかの和合をしていこう、交流していこうとする心。
自分の名誉や、もうけではなく「皆を喜ばせたい」という心。
その心をつくっていこうというのが、本当の芸術であり、文化です。
今の知識人や、権力者には、この点がわかっていない。
自分のため、自分の主張にとどまり、どこまでいっても、本来の芸術や文化にたどり着かない。
だからこそ、皆さんには、本当の「文化の心」をもった人になってもらいたいんです。
その心を磨くためには、美術館に行ったり、音楽会に行ったりすることも大事でしょう。
また、歌ったり、絵を描いたり、工作したりすることも、文化人としての素養を、徐々につくっていることになる。
受験勉強だけでは、進学のための人生になってしまう。
もちろん、その取り組み自体には一時的はやむを得ないことなんだが、もっと、一生涯にわたる
「自分自身の感性の成長」に何が重要なのかを見失わないでもらいたい。
試験勉強は知識の追求でしかない。
心を豊かにするのは、芸術・文化です。
学校の芸術の授業も大切でしょう。それは自分自身の世界を広め、深め、和やかにしてくれるもんです。







