2、外見だけで人を判断したらダメ
こんばんは、マヨラ13です。
昨晩のうちに書いてあったのであとは入れる画像をチョイスするだけです。
中々、ちょうど文章にあった画像選びを長時間悩んだりするもんです。
では、本題へ
どんな人にも「平等に」「公平に」温かく接する人が、本当の人間です。
その反対が「いばり」です。
強い相手には、ぺこぺこし、弱い相手には、いばる。
いばるというのは人間的に最低です。
イギリスの伝統校では、人格を見るのに、その人に何らかの権限を与えてみるのだという。
リーダーになってみて、目下の人にどう振る舞うか。それで人格が試されるというのです。
ある出版社に勤めている友人が言っていました。
大学の先生とか、有名人は、いばってしょうがないと言うんです。
高飛車というか、つまらないことで腹を立てるし
「私を怒らせたら、どうなるか、わかってるんだろうね」などとすごまれると言うんです。
もちろん立派な大学の先生もいますが。
だから、「優しさ」というのは「人間を人間として見る」「人間を人間として大切にする」ということではないだろうか。
ある立派な教育者の話しです。
熊本で三十八年間、教鞭をとり、生徒に慕われた愛情深き先生だったという。その原点はどこにあったか。
それは、その方が小学校二年生の時の「父の思い出」です。
小雪の舞う冬休みのある日、「門付け(かどづけ)」の母と女の子が家に来た。
門付けとは、家々をまわって門口で芸能を見せ、金品をもらい受けること。
母子は、そのようにして得たわずかな、お金や食べ物で細々と暮らしていたのでしょう。
母親が三味線を弾いて歌い、女の子が踊る。
少年の目には「哀れな母子」と映ったようだ。
曲が終わると、少年は、食べていた駄菓子の残りを女の子に差し出した。
まさにその時。
この方は、こう回想されている。
「庭隅で牛に草履をはかせていた父が、はんてんをひるがえして私に走り寄り、いきなり私を地面に殴り倒した。
あっけにとられている門付けの母子にむかって父は、丁寧に頭を下げ、食いかけの菓子を差し出した私の非礼を詫びた。そして私にも土下座をさせて母子へ誤らせた。」
さらにお父さんは、謝礼の穀物をあげた上で、少年のお菓子を袋ごと全部、女の子に渡した。
そして、土下座して泣いている少年を残したまま、牛を連れて山仕事へ出かけて行った。
「父は人間の平等を態度で私に叩きこんでくれた。」と感謝の言葉を綴っている。(喜読喜市の世界)
こういう父親が少なくなった。
人間を外見だけで判断しては絶対にいけない。
人を決して身なりだけで判断してはならない。
その人が将来、どうなるか、どんな使命をもった人か、身なりなんかで絶対に判断がつくはずがない。
身なりで人を判断することだけは、してはいけない。



