其の六、男は心に固ゆで卵 | マヨラサーティーン 土方の始末書

其の六、男は心に固ゆで卵

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「友情が大事だ」ということは皆、感じていると思います。

ただ友情といっても「同じ学校」「同じクラス」「同じ部活」の時だけで、それが変わると、ほとんど付き合いがない。

「一生の友人」がなかなか見つからないという人もいます。



友情にもいろいろある。

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生涯の友情もある。二十年の友情もある。五十年くらいの友情もある。一年の友情もある。

友情という自分自身の気持ちが変わらなくとも、相手が変わる場合もある。友情を一生涯と決める必要はない。

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「一生の友だち」じゃないから大切ではないとも言えない。

その時、その時、自分なりに誠実に接していけばいいんです。

クラスメートは、同級生、同窓生と思って、悠々と接していけばいい。

深い友情をもてる相手というのは少ないものだ。

たくさんの草木を育てるのと、一本の大樹を育てるのでは、育て方が違うようなものです。

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いつも誠実な自分で生き抜けば、いつか自然のうちに、よい友人が周囲に集まっていく。

そのなかから、大樹のような生涯の友情もできるでしょう。あせらないことです。

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まず自分をつくることです。君たちには、これから、数限りないすばらしい出会いが待っているのだから。


友情は自然にできあがるように思うものだが、そのうえに、2人がそれなりの目標をもち

励まし合い、助け合い、生き抜こうという、人生の、青春の力の足音がなくてはならない。

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「立派に高校を大学を卒業しよう」「社会に貢献しよう」というような目標が大事です。

目標が明確でない友情は、なれあいになってしまう。

目標に向かって、明るく励まし合い、それを達成しようという友情は長持ちする。

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「いつも一緒にいるから友情」か。そうではない。

「お金を貸してくれるから友情」ではない。

「親切にしてくれるから友情」ではない。

「愛想がよく、性格が合うから友情」ではない。

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友情とは、彼、彼女が苦しんでいる時に同じように苦しみ、励ます。

自分が苦しんでいる時に彼、彼女が同じように苦しみ、励ましてくれる

そういう清らかな川の流れのような姿です。

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友情の「情」という字は、字の成り立ちは別として

「心が青い」と書く。心が生き生きとしている、清らかであるとも読める。

「清らか」という字も、同じく「水が青く澄んで流れている」姿とも言えるでしょう。

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友情とは、人間として「最高の清流」を流れることです。

そして、彼、彼女も同じように清流を流れていく。その流れが合流した時、清い水かさが増え、清らかさも増える。


その流れを見ている人が「美しい流れだ」「清い流れだ」

という気持ちになるような流れです。

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