腰は曲がってもまっすぐに、其の3 | マヨラサーティーン 土方の始末書

腰は曲がってもまっすぐに、其の3

「親がうるさい」というのは、親のいない人から見れば、ある意味で贅沢な悩みに聞えるかもしれない。

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若くして父親がいない人もいる。母親がいない人もいる。両親ともいない人もいます。

そういう人は自分が寂しいと感じているのかもしれない。

両親がいる人を、うらやましいと思うかもしれない。

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しかし、百年後には、今いる人類は、ほとんど、誰もいなくなるんです

誰でも、いつかは親と別れなければならない。

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また、親が病気の人もいるでしょう。父親が商売に失敗して苦悩の人生の人もいる。私もそうでした。

今では、父親は蒸発し母一人の母子家庭です。

何も悪い事をしていないのに非難された人もいるでしょう。

しかし、全てのハンディは自分が強く生きて行く上での糧になる。

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苦しみや悲しみがあるほど、その分より以上に頑張って幸せになれるんだ、自分が一家の柱になっていこう。

と自分に、けなげに言い聞かせて生きるんです。

裏マヨラサーティーン 土方の始末書-きゃっほーい

親がいないとか、病気とか、そういう人の中から、偉い人が出て来るものです。

親がいたら幸せか、そうも言えない。

子を殺す親もいる、子が親を殺す事件もある。表面の形で決まるものでは絶対ない。

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ともかく自分が一家の「太陽」になる事です。

そうすれば全ての闇は消える。亡くなったお父さん、お母さんをもその光で救っていけるんです。

いわんや、生きている親を幸せにできないわけがない。

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自分です、親ではない。何があっても「私は太陽なんだ」と悠々と生きるのです。

もちろん、太陽といっても曇りの日もある

しかし、曇っていても太陽は太陽だ。

人間も苦しんでいても心の輝きを失ってはならない。

自分自身で誰も評価はしてくれないが、自分は満足した、と言える自分をつくれた人が、本当の意味で勝者なんです、そういう本質を見抜ける人であってもらいたい。

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「親が家を出て行ってしまったとか、家にいたとしても自分の事なんか愛していない。

親は親で勝手にやっている」と訴える人もいますが。

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それぞれの家庭に、それぞれの事情があると思う。

本人にしかわからない苦しみがあるでしょう。

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ただ一つ言える事は、どんな親であっても親は親です。

親がいなければ自分は存在しない。この一点だけでも、重大な意味がある事を理解しなければならない。