私が、子宮肉腫という10万人に一人という
治療方法がまだない 忘れられたがん と一度診断されたとき
仕事も辞めるように会社から言われ
大好きだったフラも、続ける心がなくなりました。

励ましてくれる人の言葉も、辛くて
このブログの中だけで、過ごしていた時期もあります。

生きることを諦めていましたが
奇跡が起こり、
悪性とも良性とも判断のつかない
悪性度不明な stump スタンプ 
というものと診断されました。
今では薬だけの経過観察です。

再発に怯えながら生きることをやめると
決めたものの、
不安は消えません。

でも、少しずつ 「私らしい自分」を
取り戻しています。
3年ぶりにフラのコンサートにも
参加させてもらえることになったので
今は、コンサートに向けて頑張って練習しています。
皆での練習も、ありがたくて
涙が出てしまうこともあります。

再発したら、もう踊れないかもではなく
踊っている今を
生かされている今を
大切にしたいと思っています。


そんな時、Facebookでご縁があった
映像作家の保山耕一さん

以前も紹介しましたが、心に響くFacebookの記事がありましたので、シェアさせていただきます。




「最後の自分らしい自分」





癌による直腸全摘出手術の後遺症を克服することは出来なかった。
私がテレビカメラマンとして職場復帰することを諦めてから、どれだけの時間が過ぎただろうか。
もうあの場所には戻ることが出来ない。
唯一の生きる望みすら癌に奪われて、希望だけではなく次第に喜怒哀楽すら心の中から消えていた。
最後に心の底から笑ったのはいつだったか?
鏡の中には無表情の私が私を見ていた。
「鏡の中のこいつは誰だ?私の顔ではない」
自分らしくない自分が、今の自分。
色のない明日がずっと続いていた。
そんな時、あるアーティストがプロモーションビデオを制作すると、そんな話を耳にする。
興味のある内容だったので、自分なりの撮影プランを言葉にして、そのアーティストに提案した。
意外にも、その撮影プランは採用され、私は撮影現場でお手伝いをすることになった。
手術の後遺症である排便障害が酷くて、私は撮影プランを提案するけれども、私がカメラを手にして撮影するオファーには事情を話してお断りをした。
初日のロケが終わり、2日目の撮影に入る前に、アーティストから直接私に電話があった。
「保山さんは遠慮しないで保山さんの自由に撮影して欲しい。私の望みは保山さんが撮りたいように撮ることです」そんな強いメッセージを頂いた。
そして、最後に「私は保山さんのカメラで撮って欲しいのです」私の体調を気遣いながらも、カメラマンとしての私を求められたのだ。
すぐには返事は出来なかった。
とりあえず、撮影までの残された短い時間で、私は走り回って撮影の準備を進めた。
誰に遠慮することなく、私のイメージする宇宙の中で、そのアーティストを撮影することが出来れば、どれほど楽しいだろうか。カメラマンとして、どれだけ幸せだろうか。
私は準備に走り回りながら考えた。
この体でカメラを持っても許されるのだろうか?
その責任を背負っても良いのか?それが誠意のある行動なのか?体調が悪くなり現場で迷惑をかけてしまわないだろうか?正直に体調に不安があるからお断りした方が良いのか?
でも、ここまで期待されたら、その気持ちに応えるしか道はなかった。私はもう一度カメラマンとして現場に立ちたかった。
その願いが叶えば命と引き換えにしても悔いはない。
私はアーティストにお願いした。
「撮影するのは私のカメラ一台だけにしてください、私の撮影のためだけに一曲歌って頂けますか?」
答えはイエスだった。
何台ものカメラが用意されていたが、最後のテイクで撮影するのは私のカメラ一台だけ。そして、その場はアーティストとカメラを持った私だけに。1対1の関係を作って、フルで一曲、撮影することを私は望んだ。
イントロが流れ、二人は曲に入り込み、アーティストとカメラマンだけの宇宙がそこに現れた。
時間は深夜0時を過ぎていた。
満点の星空、都会の喧騒は消え、神様の時間帯、蝋燭の明かりだけがその場を支配していた。
光のステージがそこにあり、その中心でアーティストは歌う。
そこに存在したのはアーティストと私と神様だけだった。
私は心の感じるままにアーティストを撮影する。
光のステージの外は闇に支配されている。
これぞ私が求めていた、宇宙。
撮影しながら、そんな宇宙の中でカメラマンとして生きることの幸せを噛み締めていた。
最高の緊張感の中で私でしか撮れない映像を求め、ギリギリを攻めて撮影する、久々に感じるこのヒリヒリするような空気。
こんな気持ちは何年ぶりだろうか。
たまらない。
私は今、生きている。
でも、撮影しながら感じていた。きっとこれが最後になる。
そう確信して、そう覚悟して、撮影を続けた。
喜びと悲しみは共にピークに達し、残酷にも曲は次第に終わりに近づく。
曲の終わりだけではなく、これまで私が歩いてきたテレビカメラマンとしての時間も曲と同時に終わる。
この曲が終わらずにいつまでもいつまでも続いて欲しいと思った。
そして、その時は来た。
ギターの最後の一音が、私の耳に届いた。
私はその余韻を追い続けたが、その音は深い闇の中に吸い込まれた。
すべてが終わった。
真っ赤な録画ランプが消えた。
37年続いた魔法が解けた瞬間だった。
もう、感じることが出来ないと諦めていたこの空気を再び感じることが出来たことに感謝した。
最後の最後まで私はプロのテレビカメラマンとして誇りを失わずに現場の最前線で終えることが出来た。
これは神様からのご褒美に違いない。
撤収を終えて、北斗七星が御蓋山に隠れ、ホテルの部屋で見た鏡の中には、私らしい顔をした私がいた。
私が私と向き合えた時間、鏡の中の私が私を見つめていた。
もうすぐ朝がくる。長い長い旅は終わった。
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出来ることなら、この映像は編集で短くカットすることなく、ノーカットで使って欲しい。
私が生まれて来た証がこのワンカットなのだから。
切り刻んだら伝わらない。心も映像も同じ。
アーティストにこの思いを直接伝えることはしないが、アーティストがこのワンカットを見て、何かを感じて頂けることをただただ願う。

追記
この撮影が実現出来たのは多くのご縁が繋がったからです。感謝しかありません。
アーティストの奈良に対する深い思いがすべての源でした。
私が生存率5%の中で生かされていた理由はこの夜の撮影のためだったと、はっきり分かりました。
最後にひとつだけカメラマンとしての遺言。
この撮影にはあえて最新のカメラを使わずに性能の悪いカメラを使いました。
高画質、高感度のカメラを使いませんでした。
ですからISOをかなり上げているので映像は荒いです。
でも、その荒さがこの状況に合っているのです。
感度が悪いので暗い部分は闇として表現できます。
常々、高感度、高解像度と美は関係がないと主張して来たことを証明する映像となりました。
映像は最先端だけが正解ではありません。
暗い、荒い、ピンぼけ、そんなことも立派な表現の手段なのです。
そのこだわりを理解していただけることを切に願います。


さだまさし
セルフカバーベストアルバム
新自分風土記II~まほろば篇~ (初回限盤) CD+DVD
初回限定DVDには、深夜の春日大社で保山さんが撮影したワンカットが収録される予定だそうです。


保山さんの足跡を辿る旅~奈良の写真は
またアップします~お願い


おねがいあぷりハートピンク薔薇