Lordagsgodisじゃないけど♡1/12 | ケセラセラ、なんくるないさ日記帳

ケセラセラ、なんくるないさ日記帳

その時のその時の思い感じたこと書き綴っております♪
最近はもっぱらダイエットや健康の趣向が高まってきちゃいましたねw


☝前日の1/11にブーくんがオカンからいただいてきた
おしるこ♡



鏡餅の丸い形は心臓を象徴化したものといわれ、年神様に力を借りて魂の再生を図ったと伝えられています。昔は鏡餅とともに大根、かぶ、押し鮎、鹿肉などを食べていたようですが、次第に食べるものから眺めるためのものとなりました。これが床飾りとしての鏡餅の始まりだといわれています。
神に供えられた鏡餅を鏡開きの日に割って頂くことで、神の霊力とつながりが生じると考えられています。

そもそも鏡餅とは神様と人を仲介するものであり、1年間の幸せを願う「晴れの日」に神前に捧げた餅をみんなで分け合って食べることで、神様からの祝福を受けようという信仰・文化の名残りなのです。つまり、鏡餅は神様にお供えしてからいただく尊い餅。「お供え」が鏡餅の別名となっているのはこうしたことに由来しています。では、なぜ重ねた餅を鏡餅と呼ぶようになったのでしょうか。ひとつには、丸い餅の形が昔の銅鏡に似ていることから。古来から、鏡は神様が宿るところとされていました。また、鏡餅の「鏡」は「鑑みる(かんがみる)」。つまり良い手本や規範に照らして考えるという意味の言葉にあやかり、「かんがみもち」とよぶ音がしだいに変化して鏡餅になったのだとも言われています。さらに、鏡餅の丸い形は家庭円満を表し、重ねた姿には1年をめでたく重ねるという意味もあるそうです。鏡餅の起源は、はっきりとした記録はありませんが、元禄年間のものといわれる書に、丸餅と角餅を重ねた絵が残されており、この頃ではないかといわれています。いずれにせよ、祈りと1年無事であったことを感謝する気持ちを込めて飾る行為は、非常に歴史のある日本人固有の文化なのです。


関東では歳神様がいらっしゃる1月7日までが「松の内」。神様にお供えした鏡餅は松の内が明けた1月11日に下げて食べます。この風習を鏡開きといいます。
松の内を15日とする地方では、鏡開きを15日または20日に行う場合があります。また、京都では1月4日に行われます。
鏡餅は、家に入って来た歳神様が山に帰る日までいらっしゃる場所です。神様の宿った餅を食べることで、ご利益をいただくと考えられています。鏡餅は、刃物で切らず手や槌で割って食べる風習。「切る」という言葉を忌み嫌い「開く」と言う縁起の良い言葉を使います。


正月の鏡餅を下げ,砕いた小片を雑煮や汁粉に入れて食べる祝い。主として1月11日の行事。古くは1月20日に行われていたが,江戸時代に3代将軍家光の忌日が20日であるため11日に改められたという。武家では甲冑を納めた櫃を開く具足開きが,町家では蔵開き,帳祝いが行われ,鏡餅を下げて主従や家族どうしで共食し,互いの関係を密にした。農家でも田打正月,鍬初めなどといって田畑に初鍬を入れ,そこに松や鏡餅の砕片を供えたり,臼起しといって暮に伏せた臼を起こし儀礼的に米つき等の作業をすることが行われ,同時に雑煮や汁粉を食べた。ただこれら農家の行事が武家の具足開きなどと同じく,20日から11日に移されたものかどうかは明らかでない。ともあれ,この日に鏡餅を下げて大正月に一応の区切りをつけ,新たな仕事を開始しようとする観念があったのであり,現在でも行っている所は少なくない。なお,4日,7日等に鏡餅を下げる所もある。


鏡開きとは、樽酒の蓋を小槌で叩き割ることです。鏡開きは縁起がいいものとされており、お正月を初めとする結婚式や祝賀会などお祝いの席でよく行われます。結婚式では和装の時によく行われていて、樽酒の蓋がまるいことから夫婦円満を願う意味で定番です。さらに、樽酒の蓋を割った後、中のお酒をみんなで飲むことから、幸せを分け合うということで良い意味を持っているとか。鏡開きが広まったのは、戦国武将・楠木正成(くすのき まさしげ)が戦前に部隊を勇気づけるために行ったからという説がありますが、これは誤りです。楠木正成の時代、日本酒の容器には焼き物が使われており、江戸時代頃に樽酒が出回り始めたそうですよ。




☝昨晩の晩ごはん👏





いろいろ鏡開きについては諸説あるようですが、
美味しくいただいちゃいました🤗



 

☝余談ですが昨年末に

このようなお店ができたそうな🤔