天皇皇后両陛下、元ハンセン病患者とご懇談 | 同じ空の下で ~ To you who do not yet look ~

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まだ見ぬあなたへ。僕らは、同じ空の下にいながらも、それぞれの感じ方で生きている。
「偶然は必然」というように、僕らを直接結びつけるものはなくても、意図しない形で、思いもよらない所で、あなたと私がきっかけひとつで繋がったことに感謝☆




(以下、産経新聞ニュースより)


天皇、皇后両陛下は28日、皇居・御所で、

ハンセン病の差別撤廃を訴える「グローバルアピール」を27日に発表した

日本、インド、米国など各国の元患者8人と懇談された。

両陛下は、隔離政策による偏見と差別に苦しんだ元患者を長年気にかけ、

昨年までに国内14カ所全ての療養所の入所者と面会されている。


懇談に同席した日本財団の笹川陽平会長によると、

両陛下は元患者一人一人の手を握りながら話を聞き、

陛下が最後に「今なお病気はもちろん、差別に苦しんでいる方々の指導者として

活躍をしていただきたい」と励まされたという。



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(以下、27日付、産経新聞ニュースより)


日本財団は27日、ハンセン病に対する差別の撤廃を訴える声明

「グローバル・アピール2015」を発表した。

毎年1月の「世界ハンセン病の日」(今年は1月25日)に合わせて発表しており、今回で10回目。


声明は、いまだに偏見によって患者や家族が苦難を強いられていると指摘。

「ハンセン病は治る病気だ。早期治療で身体の障害を防ぐことができる。

薬で菌は消滅する。患者を隔離する医学的根拠はない」と強調し、

患者らは尊厳ある生活をする権利を持っていると訴えた。


財団の笹川陽平会長は27日、東京都港区で開かれた式典で

「ハンセン病の問題は忘れられてはならない。

努力をすれば社会は変えられると信じている」とあいさつした。

安倍晋三首相も「ハンセン病から回復した方々が安心して暮らせるよう努め、

社会的差別をこの世界からなくす」との決意を示した。



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(以下、24日付、産経新聞ニュースより)


全国13の国立ハンセン病療養所の入所者1758人(昨年12月末現在)の平均年齢は約84歳。

毎年150人近くが亡くなり、急速に進む高齢化と人数の減少は

施設の維持に直結する問題として入所者たちに重くのしかかっている。


かつて入所者に利用が限定されていた療養所は、

平成21年のハンセン病問題基本法施行により、施設の地域開放が可能になった。

療養体制の維持や施設開放による入所者の社会復帰などが目的で、

各療養所は民間施設の誘致などを盛り込んだ「将来構想」を策定し具体化の道を探っている。


邑久光明園には入所者以外の人が利用する特別養護老人ホームが今秋に完成する予定で、

菊池恵楓(けいふう)園(熊本)と多磨全生(ぜんしょう)園(東京)では

24年に施設内に保育所が開園した。このほか一般患者の受け入れ態勢を整えた療養所もある。


一方で、栗生(くりう)楽泉園(群馬)は園内の温泉を活用した医療施設の建設が

外部の支援を得られる見通しが立たずに構想が頓挫し、

離島にある大島青松園は立地の厳しさがネックとなって昨年末まで構想自体が決まらなかった。


「最後の一人まで安心して暮らせるのか」。

基本法ができても、入所者たちの不安は消えていない。

大島青松園で暮らす全療協会長の森和男さん(74)は

「地元だけでは構想の実現に限界があり、焦りを感じている。

国も具体化を急ぐ姿勢を見せてほしい」と訴える。



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(以下、24日付、産経新聞ニュースより)


瀬戸内海の長島(岡山県瀬戸内市)にある国立ハンセン病療養所

「長島愛生(あいせい)園」と「邑久(おく)光明園」は、

全国に13カ所ある国立療養所の世界遺産登録に向け、

今春にも高松市の「大島青松(せいしょう)園」と連携し本格的な活動を始める。

入所者の高齢化が進み、隔離政策による「負の歴史」の伝承が課題となる中で生まれた構想。

長島での準備会設立から1年余り活動形態をめぐって足踏み状態が続いたが、

瀬戸内の3施設で先行して取り組み、運動の拡大を目指す。

25日は「世界ハンセン病の日」。


「あの崩れているのが収容桟橋の跡。患者にとって現世との別れの場でした」。

愛生園歴史館の学芸員、田村朋久さん(38)が差別の歴史を伝える施設を前に見学者に説明した。


同園は昭和5年に国立療養所の第1号として開設。

旧事務本館(現在の歴史館)や消毒浴槽がある収容所、

規則に従わなかった患者らを収監した監房などの施設が現存する。

10年余り前から本格的な見学会を開いており、年間1万人以上が訪れる。


長島2園で暮らす入所者は計367人。高齢化が進み、平均年齢は約84歳に達する。

2園の将来構想を考える中で「このままでは無人島になり、歴史が失われる」

危機感が高まったことを受け、平成25年9月に2園が中心となって世界遺産を目指す準備会を設立。

全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)でも議論したが異論も出たため、

まず瀬戸内3施設で活動を先行させ、運動を広げていくことにした。

4月ごろに開かれる全療協の会合で了承を得る方向という。


「差別や偏見を受けながら亡くなった多くの先輩を含め、

われわれの生きた証しを残し、誤った政策を繰り返さない『教訓の場』にしたい」。

入所67年になる愛生園入所者自治会の中尾伸治会長(80)は、そう思いを語る。

また、光明園入所者自治会の屋猛司(おくたけし)会長(73)は

「今後3年が勝負。私らが動けなくなっても次に引き継げる組織を何としても構築したい」と話した。


ハンセン病 ノルウェーの医師、ハンセンが発見した「らい菌」による感染症。

皮膚がただれたり身体が変形したりして障害が残る恐れもあるが、感染力は極めて弱い。

1940年代以降は特効薬が開発され、治癒可能となっている。

日本では医学的根拠のないまま明治40年に患者の隔離が始まり、

昭和6年の旧「らい予防法」で強制隔離が法制化。平成8年に廃止されるまで隔離政策が続いた。



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昨年、天皇皇后両陛下が傘寿をお迎えになり、健康上の配慮から、

ご公務の一部を皇太子殿下、秋篠宮殿下に譲られることになったものの、

今年もお変わりなく全国各地の施設をご訪問になるお姿を拝見し、

ただただ敬服するばかりだった。


「心を寄せる」


我々がその言葉を使う時は、決まって、その場から離れている時だが、

両陛下は、いつも「寄り添う」ようにしてくださる。


「家族からも手を握ってもらえない私に、

両陛下は親しく握手してくださり、苦労や痛みが消えました」


インドの元患者の男性は、会見で、そのように感激を伝えていた。

様々な差別感情から、暴力などによる死傷事件が度々報じられるなど、

インドの差別意識は相当根深い印象がある。


「家族からも手を握ってもらえない」ことが当たり前の中で、

日本の天皇皇后両陛下が手を握ってくれたことは、

希望の光のように感じたのではないだろうか。


これまでに、何度も東京の全生園の前を通ったことがあるが、

その施設が何であるかは、もちろん知っていた。


何年か前から、施設の名前や雰囲気が変わった気がしていたが、

それ以上の視線を送ることは避けていたように思う。

施設や施設の前を通るひとを見るのは失礼なんじゃないかと思っていた。

差別している訳ではないが、どうしたらいいのかわからない。

そんなひとは決して少なくないと思う。


「黙っていられるよりも、どうしたらいいかと聞かれた方がいい」


かつて乙武氏は、そのように語っていたと記憶しているが、

誰もがそうではないだろうし、その時の状況でも違うだろう。


自分で見て聞いて確かめることが一番だと思うが、

その機会を作って行動できるひとは、残念ながらそう多くはない。


そんな時、天皇皇后両陛下のお姿に触れると、

目詰まりしてしまっている自分のフィルターを洗浄してもらえたような、

常識化してしまっているフィルターを取り外してもらえたような、

今なら何でもできるような気がしてくる。


もちろんそう単純なものではなく、こうした安易な発言が、

かえって関係者を傷つけてしまう可能性もある訳だが、

自分でさえ、天皇皇后両陛下のお心に触れて、

凝り固まったものがほどけるような気がするのだから、

両陛下のお姿が、どれほどひとの気持ちを救っているかは言うまでもない。


いつも寄り添ってくださる天皇皇后両陛下のご健康と、

天皇家の弥栄を願う心を、改めて深くしたいと思った。










(参照)


天皇皇后両陛下、皇居で国内外のハンセン病回復者らとご懇談

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00285311.html


国立ハンセン病資料館

http://www.hansen-dis.jp/