ALOHA🌺


レフアです。


今日は「フラの歴史」についてのお話。


フラはまず、その起源から遡って勉強することが大事。

大昔から神への祈りを捧げるための儀式として始まったことの他にイギリス宣教師によって理不尽に封じ込められた悲しい過去、カラカウア王が禁じられたフラを復活させた経緯まで複雑な事情がたくさんあります。


 フラの歴史

フラというものは、現代のような娯楽として踊るものではなく宗教的儀式でした。

神話によると初めてモロカイ島の洞窟でフラを踊ったのはラカ(Laka)という女神といわれます。

一説にはハワイには数多くの火山があり、火の女神ペレの怒りを鎮める為にペレの妹であるヒイアカが儀式を始めたことから各島々でも神々を讃える目的で広まったとも。


今のように笑顔で踊ることもなく、チャントという祈りの言葉を混じえラカに踊る許しを乞うてからの…ガチガチに揃った軍隊のようなものでした。


しかし、イギリスから宣教師がキリスト教をハワイに持ち込もうとした時になんとフラを禁じてしまいます。当時のフラは男性も女性も裸同然で行われていたことから、イギリス宣教師は「低俗なもの」として人前で踊ることを禁じキリスト教の教えだけを刷り込もうとしたのです。


一部の集落では暗い洞窟の中でひっそり…ということもあったそうな。


これをなんとか、争うことなくハワイの伝統文化としてフラを復活させたいと尽力したのがカラカウア王でした。


デイヴィッド・カラカウア王(1836〜1891)


カラカウア王は世界中を旅し、西洋文化をたくさん学びどうにかハワイの文化と共生させようと試行錯誤しました。
どうやってフラを復活させたのか。


サムネイル
 

西洋人が着てるドレスやシャツと組み合わせれば過度な露出も抑えられる。そして西洋の楽器も取り入れて曲を作ってみたらいいのではないか。

これが皆さんのよく知る、きらびやかな衣装と自由な音楽の入った現代フラ・アウアナの始まりです。


そして古来からのカヒコ(儀式要素のある古典フラ)も、伝統を守りつつ宣教師達からも文句のないような衣装を用いて踊るようになり禁止令も解かれることとなりました。


ちなみにフラの代表曲であるAloha oe という歌がありますが、あれはカラカウアの次の代でハワイ王国最後の女王となったリリウオカラニが作った曲です。


こういった背景から、ネイティブハワイアンにとってフラは強い思い入れがあるもので特にアウアナを踊る場合は手の動きや顔の表情などもかなり重要視されるようになったようです。


フラが身近でない人々は当然、奇抜な衣装を身に着けゆったりした音楽に合わせ、ニコニコ笑って手をユラユラさせながら踊る…という認識。


ただダンサーとしては、「今踊ってるこの曲は◯◯島の何処其処がこういう素晴らしい場所なんだよってのを伝えてる」わけなんです。


それを表現するのってかなりハードル高い(笑)

よく先生が「顔がうるさくてもダメ、ハンドモーションが大げさなのもみっともない」と言います。本当にその通りで。


美しいフラを踊るための…って何年経っても答えが出ませんが、私が個人的に行き着いたのは大地を足の裏で感じ姿勢は真っ直ぐ・そして余計な動きをしないことなんだろうなというところです。

他にも諸々ありますがね。


あとはとにかく楽しむことですね♥



フラの祭典、メリー・モナークフェスティバルではカラカウア王やリリウオカラニ女王を讃えトップクラスの優秀なハラウが集まり実力を競います。

招待されないと上がれないステージ、狭き門なのです。