我が家の氏神様である、根津神社の祭りが始まった。
徳川幕府の直参旗本だった曾祖父に始まり、れっきとした江戸っ子四世でありながら、僕は子供の頃から祭りが好きではなかった。それでも、幼稚園へ入るまでは祭半纏を着、唇に紅をさし、鼻に白粉のラインを入れ、山車を牽いたりもしていた。あの時期は自分の好き嫌いではなく、親の趣味というか、大人の都合で行動を決められるわけで、逆らいようがない。ある程度自意識が芽生えてくると、頭が痛いとか眠いとか言って、嫌な物を避けるようになる。そうして僕は、祭りから徐々に距離を置いていった。
なぜ祭りが好きではなかったのだろう?理由はいろいろ考えられる。まず、お尻丸出しのふんどしは恥ずかしいと思っていたこと。そして、神輿の騒がしさ。みんなが大声で叫んでいる。そのハイテンション振りに、なにか異様なものを感じてしまったこと。さらに、普段は温和しそうなおじさんの全身に般若の絵が描かれていたこと。酒を飲み、真っ赤な顔をして神輿の上に乗っている。根津は下町で、当時は沢山の職人さんが暮らしていた。入れ墨のひとつやふたつ、珍しくもなかったのだろうが、生憎銭湯へ行く習慣がなかったため、ももから二の腕までビッシリ掘られた入れ墨が恐かったのだと思う。
そんなわけで、小学校へ入る頃には神輿や山車を避けるようになっていた。僕にとっての祭りは、根津神社の境内に出る屋台だけだ。それも、あんず飴や焼きそば、チョコバナナや飴細工などは禁止されていたため、買えるのは綿飴とソース煎餅くらいしかない。内緒で食べてしまえばいいと思うだろうが、買った食べ物は家へ持ち帰って食べなければならないから、出来ない。そういえば、あの頃はタコ焼きやお好み焼きの屋台は無かった気がする。かき氷もベビーカステラも、アメリカン・ドッグも無かった。とにかく食べ物に制限があったので、遊びを楽しむしかない。射的にヨーヨー釣りに金魚すくい、特にヨーヨー釣りは得意で、祭りが終わって2~3日は、家の中にゴロゴロしていた。
金魚すくいは得意ではなかったが、どんなに下手でも最低2匹くらいはすくえる。持ち帰り、庭の池に放した。今でも、ヨーヨー釣りと金魚すくいをの店を見ると、ついのぞき込む。家を建て替え、池がなくなってから、すくった金魚を部屋の水槽で飼っていたが、大抵は鱗が松ぼっくりのように広がってしまう「松かさ病」で死んでしまった。それまで飼っていた元気な金魚にまで伝染し、全滅した時は悲しかった。
今でも、祭りにときめかないのは、そんな子供時代の体験があるからだろう。幼児体験というのは、大人になっても大きな影響を及ぼすという、お手本のような話だ。
金魚すくい、もう一度やってみたいなァ…。

