久し振りに日比谷へ出た。
JR有楽町駅から新橋駅へと続くガードに沿った細い道を歩くと、いつも、なんとなく懐かしい気持ちになる。晴海通りから帝国ホテルまでの短い距離だが、途中で何度か立ち止まり、辺りを見渡し、ゆっくり歩く。先を急ぐ仕事中のサラリーマンにしてみれば、昼下がりにカメラを手にホロホロ歩く人間は障害物かも知れない。
新橋へ向かって、道の右側の店は昔とあまり変わらない。ALMOND も残っているし、一度火事で焼失した慶楽も、同じ場所で営業している。営業を再開した時、ピカピカの新しい店に馴染めなかったが、時間の経過と共に、今はいい感じに汚れてきて、周囲に馴染んでいるのが嬉しい。道路の左はJRのガードだ。一日中、山手線や京浜東北線が走っている。あの頃は、夕方になると焼き鳥やもつ煮込みの煙と匂いが漂い、仕事を終えたサラリーマンの憩いの場所だった。今はほんの一部を残し、お洒落な店に姿を変えている。もともとガード下は、その殆どが倉庫として使われていた。なにせ早朝から深夜まで上を電車が走っているのだ。うるさくて商売に向かないと、誰もが思っていたのだろう。それが当時の常識というやつだ。現在は一日中電車の走りうるさいことを逆手に取り、イタリアンやフレンチの店が並ぶ。「電車の音が聞こえて、雰囲気があるよね」と受けてしまうのだがら、世の中、何がどこでどうなるのか、予想もつかない。
ガードを造った当時は、そもそも下に店が入ることなど想定していなかったはずだ。電車が走っても大丈夫という強度だけを考えて設計し、造られた。等間隔に太い支柱を建て、煉瓦で覆う。支柱と支柱の間がアーチ状になっているのも、強度の関係だろう。今はそれがデザインとして美しい。偶然の産物とはこういうことなのだ。
長く倉庫や物置になっていたため、使う側が自由に手を加えたのだろう。アーチの所々がコンクリートで埋められたり、ペンキで塗られたりしている。せっかく風情のある赤煉瓦の美しいフォルムが崩され、少しばかり残念だが、それもこの場所の辿ってきた歴史の証明なのかも知れない。もっと早く気づき、もっと早くきちんと保存すべきだった。
もし人生の終わりに、心に残る思い出の場所の挙げろと言われたら、この辺りも、確実にリストに入る。そんな懐かしい所だ…。

