まあ、そうなんだろうけど…。
外を歩いていて、どうしてもトイレへ行きたくなることがある。いつも歩いているコースなら、どこに公衆トイレがり、どこのトイレが清潔で使いやすいかを把握しているから問題ない。困るのは普段あまり歩かない場所でトイレに行きたくなった時だ。近くを見渡して公衆トイレがあればいいが、なかなかそうもいかない。この場合便利なのが、デパートやショッピングモールだ。清潔なトイレを自由に使える。デパートや大型の店がない場合、どうするか。地下へ潜り、地下鉄の駅のトイレを使う手もある。しかし、駅によっては改札内にトイレが設置されていることがある。JRも同様だ。
そんな緊急時に飛び込むのが、いくつかの会社が入っている大きめのオフィスビルだ。オフィスビルは、殆どの場合1階がロビーになっている。ちょっとした来客や商談用に設定されいると思うが、必ずトイレも付いている。しかも、掃除が行き届き、清潔だ。入り口の警備員さんに笑顔で手を挙げ「どうも~」と言えば、ちゃんと丁寧に挨拶も返してくれる。
で、とあるオフィスビルでトイレを拝借した時のこと。小用を済ませて手を洗い、ハンドドライヤーを使おうとして驚いた。節電を理由に稼働していなかったからだ。
確かに東日本大震災後、節電は被災していない僕らに出来る、ささやかなことのひとつだろう。それは判っているが、あまりに過剰ではないかと思ってしまう。もちろん待機電力はかかるかも知れないが、手をかざして初めてドライヤー機能が働くのだ。他にも無駄な大口の電力は山のようにあるはずなのに、小さなことにこだわり過ぎている。普通に暮らすために必要な物は普通に使うべきだと言うのは、ワガママになるのだろうか。何かやるとなると、後先考えず何でもやってしまう。
「思いは見えないが思いやりは見える」、「心は見えないが心遣いは見える」はずなんでしょ?
駅構内の案内板の灯りが消えていたら、初めて利用する人は迷ってしまう。エスカレーターを止めてしまったら、お年寄りや体の不自由な人が困る。エレベーターを使えばいいと言うが、どこの駅でも、エレベーターはホームに一台しかないのだ。しかも地下鉄の場合、殆どの場合どちらかの端に設置されているのだ。お年寄りや体の不自由な人は、エレベーターに乗るため、ホームを端から端まで歩かねばならない。上りだけ動かし、下りを止めているケースもあるが、実は階段は下りの方が危険なことが判っているだろうか。
たまたまハンドドライヤーで思い立ったのだが、本当はハンドドライヤーはどうでもいいのだ。最初から自分のハンカチを使えば済むことだ。家では、なるべく不必要な電気を使わないようにしているし、待機電源のコードも抜いている。ついこの間までは、エアコンを使わないよう、部屋の中でダウンを着て暮らしていた。感じているのは、誰もが普通に生活するために必要な物まで、「節電」という大儀の下で取り上げてはいないかということだ。
探してみれば、もっともっと大きな無駄が、きっとどこかに、あるはずだ。

