まだまだ知らないことばかり。
いつも近くを通っているのに、そして、気にしているのに、その正体を知らない物はないだろうか?
上野公園の中、西郷隆盛の銅像の脇にある石の建造物。昔からそこにあることは知っていたし、何やら曰く因縁がありそうだとも感じていた。徳川家に関係のある何かであることは、子供の頃、祖母に聞いたと思う。なのに、なぜか今日まで、確かめることがなかった。
散歩の途中、自販機で水を買い、休憩をしながら、何気なくフェンスの中へ入って驚いた。なんと、その石の建造物は「彰義隊」の墓だった。
なぜ、「彰義隊」で僕が驚くのか…。
実は、僕の祖祖父の父、これを一言でなんと呼ぶのか判らないが、簡単に言うとご先祖様は、彰義隊の隊員だったのだ。彰義隊は、幕末に将軍慶喜を守るために結成された、直系の藩士、旗本、御家人の子弟による軍隊だ。殆どが、まだ少年という年だったらしい。ご先祖様は旗本の息子で、慶喜に小姓として仕えていた。彰義隊は、寛永寺に籠もっていた慶喜を守るため、維新軍と上野の山で戦い、敗れた。実戦の経験もない少年達が、猛者揃いの維新軍に勝てるわけがない。戦いは30分で終わったという話もある。結果、彰義隊は多くの犠牲者を出した。維新軍も、相手が子供だと思ったからだろう。深追いすることなく、勝敗のついた後、逃げ落ちる彰義隊を見逃してくれたらしい。ご先祖様も、上野の山から逃げ、谷中の農家にかくまわれ、助かった。西郷さんの近くにある彰義隊の墓は、戦死した若者たちを合同で葬った場所なのだとか。
その後、明治政府は禄を失った徳川家の家臣たちに「一時金」を支給した。「収入の道を断たれたのだから、この金で、なにか商売でも始めなさい」ということだ。結構優しい心遣いをしてくれたと思う。ところが、僕のご先祖様は、一時金を手にすると、商売を始めるどころか、とんでもない行動に出た。なんと吉原へ出かけ、貰った一時金が無くなるまで、居続けたのだ。相当に、女性が好きだったらしい。
そんな話をしてくれた祖母が、僕の顔を見る度に言ったものだ。
「あんたは、ひいおじいさんにそっくりだ。目鼻立ちから表情まで、生き写しだね」
姿形が似ているのは血筋だから仕方がない。しかし、商売をしろと渡された金で吉原へ遊びに行ってしまうという、どうしようもない性格だけは、どうか遺伝しないでほしい。
彰義隊のみなさん、何度も前を通りながら、今日までお墓のあることに気づかず、申し訳ありませんでした。
