またまた調布へ出かけた。
調布、正確には一つ手前の布田という所だ。京王線のつつじヶ丘で快速から各駅に乗り換え、確か三つ目だったと思う。
駅を出て甲州街道へ向かい少し歩くと、右側に常性寺という寺がある。お世話になった方の通夜だ。
野口いさおさん。50年代の終わりから60年代にかけ、テレビやラジオの構成作家として活躍された人で、僕に放送作家のABCを教えてくれた師匠に当たる。僕は、一年以上野口さんの家に住み込み、内弟子として修行をさせてもらった。
僕の放送作家としてのデビューは、NHKラジオの「夢のハーモニー」という番組だったが、この番組も、野口さんが道をつけてくれたものだ。
「おまえのデビューは、絶対にNHKでなきゃ駄目なんだよ」
そう言って、当時仲のよかったディレクターの所へ連れて行ってくれた。
「こいつさ、俺の唯一の弟子なんだよ。仕事はちゃんと教えてあるから、何か書かせてやってくれないか?」
その一言で、翌週から僕は、「夢のハーモニー」を担当することになった。続いて、野口さんは、僕をニッポン放送へ連れて行き、今仁哲夫さんに紹介してくれた。
「うちの弟子なんだけど、何かあったら手伝わせてやってくださいな」
いきなり僕は、「歌謡パレードニッポン」という生ワイド番組のチーフ作家に抜擢された。今仁さんと仕事をすることで、ラジオの面白さ、楽しさ、そして厳しさを知った。今仁さんは、僕にとって二人目の先生と言える。
「哲っちゃんの番組がこなせれば、何がきたって怖くないぞ」
野口さんはそう言ったが、まさにその通りだった。
そんなわけで、僕が 40 年近く、まがりなりにも放送作家としてやってこられたのは、全て野口さんのお宅で過ごした一年があったからこそなのだ。
そんな大恩人である師匠、野口いさおさんに、僕は何の恩返しも出来ないまま時間だけが過ぎていった。野口さんは、13年前に脳梗塞で倒れて以来、糖尿病を発症し、心臓の手術を受けたり、ずっと闘病生活を続けていた。その間、何度かお目にかかったが、気持ちだけは、強かったので、ある意味安心していた。
数日前、僕をお兄ちゃんと呼んで慕ってくれていたお嬢さんから電話があり、危ないかも知れないと告げられた。ここ数日、毎日のように調布へ出かけていたのは、このためだった。
そして、昨日、野口さんは亡くなった。82歳だった。
悲しいというより、寂しいというより、説明の出来ない、複雑な気持でいっぱいになった。
