私には

身近な人が亡くなったとき

誰も喜ばないとわかっていながらも

後追いをしようとした過去がある。


今、振り返ってみるとゾッとする話だけれど

何度も何度も未遂をした。

気付いたら

後を追うことしか考えられなくなり

気付いたら

そのことが頭から離れなくなり

気付いたら

大量の相性が悪い薬とお酒を握っていた。

すべてを強制終了させたかった。


看護師のくせに生命を大切にしろ、と思うだろう。

看護師のくせにそんなことするな、と思うだろう。

看護師のくせに最低だと思うだろう。


でも

そんなことを冷静に考えることが出来ないほど

私の精神は追い詰められ

生きる意味も希望も失い

なんのために自分が存在しているのか、わからなくなった。


今では考えられないくらい強い気持ちを持っている私にも

そんなふうには抗えない時期があった。


心が潰れた日

感情が消えた日

から今は生まれ変わったように思っている。


死にたい気持ちがあることが怖いんじゃない。

消えたい気持ちがあることが怖いんじゃない。

1番怖いのは

そう思っていた人間から

ふと死にたい気持ちも消えたい気持ちも無くなり、ふわふわしているときだよ。

そのときには、もう何かしら、手を出しているから。


経験者は語る、だなんて

こんなことで語りたくはないけれど

経験者だから、わかるんだよ。

痛いほどに

怖いほどに

わかるんだよ。


私は今日も生きている。

昨日も生きた。

明日も生きる。

今を生きる。


『生きている意味も

生きる理由も

存在価値も探さなくて良い。

今、生きている、そのことがすべてで

そのことが事実で

そのことが1番大切なのです。』


こんな当たり前のことに気付くまで

私には14年の歳月が必要でした。