時々

「障害があると知れて良かったか?」

と聞かれることがある。

私は良かったと思っている。

けれども……。

良い悪いの前に

私本人が私のことを知るのは

当たり前にある権利だと思う。

知ったあとで

それが良かったか悪かったかを決めるのは私本人で

その前段階である【知る】は

周りが決めることではなく

私の権利なのです。


私は障害告知は未成年の時に1人で受けました。

それを知ると「可哀想。」と言われることがありますが、可哀想ではなく、むしろ1人で良かったです。

聞きたいことを聞けたし

上辺だけの話ではなく深いところまで突っ込んで話すことが出来たし

自分主体で話をすることが出来たから。

もちろん、すぐに障害を受け容れることは出来なかったけれど

障害というものに対し、納得することは出来ました。


私は【知る】ことは

自由とか周りがどうこうではなく

その人のひとつの権利だと思うんです。

たとえば病気の辛い治療や障害を抱える生きにくさは周りには計り知れないものがあると思うから。


知る権利は全ての人に平等にある。