精神科の診察室で

先生と話をしたことのなかに

手帳の話と支援者の在り方について、があった。


わたしは

「発達障害者支援法について議論がされた時に、発達障害者保健福祉手帳を作ってほしかった。

支援法の制定だけではなく、支援者への正しい知識を学ぶための研修制度と、筆記試験及び実践を義務化してほしかった。」

と、話した。


なぜ、発達障害者保健福祉手帳の実現が出来なかったのか。

知っている人もいるでしょう。

国が、発達障害者は精神障害を発症するものだという前提で動いたからです。

二次障害である精神障害を発症しないために必要となるのが、療育だよね。

そんな考え方で、精神障害ありきの考え方なら、療育なんて止めてしまえよ、とわたしは思う。

矛盾している我が国、日本の福祉制度。

医療は、先進国かもしれないけれど

福祉は、何も進んでいない。

進んだ気になって、錯覚しているだけ。


発達障害者は、支援法が必要なわけではないのです。

支援法では、発達障害者を主語にしているけれど、それは表向き。

この法律を一番必要としているのは

発達障害者ではなく、発達障害を支援する支援者だよね。

わたしたちのためのような法律だけれど

実際はどうなんだろ。


わたしたちは

正しい知識と正しい理解、正しい実践の出来る支援者が必要なのです。

今の支援者のほとんどは、知的にハンディを持った人たちへの支援を学んできているでしょう。

だから知的にハンディのないわたしたちは

国からも支援者からも、ほとんどの支援やサービス、理解を受けることは出来ない。

公的サービスを充実させる前に、やるべきことがある。

それが支援者を育てることだ。

表面だけの支援者、机上の勉強だけではない支援者を育てることだ。

正しく理解をした支援者が増えれば

自ずと公的サービスは充実するのだ。

知的にハンディを抱えていない発達障害者が何に困っているか、わからないんでしょう。

だから

何のサービスが必要か。

なぜ、サービスが必要か、わからないんだよね。


わたしさ

同じように知的にハンディのない発達障害当事者に言われた言葉があって

その言葉は未だに忘れられないんだよ。

彼女は

「わたしは中途半端な障害者だ」

って言ったんだよね。

こんな言葉、言わせちゃダメだよ。

ただでさえ生きにくい世の中なのに

中途半端な障害って、言わせちゃダメだよ。

わたしも、彼女に掛ける言葉が見つからなかったもの。


先生と色々と話をして

先生も同じ意見だとわかった。

支援者を育てる制度を作りたい、というわたしの希望は先生も同じだった。


だから

わたしは先生に伝えた。

「この障害の理解者はこの世に誰もいない、なんて、わたしのような気持ちを抱く人が減ってほしい。

この言葉の意味、先生ならわかるでしょう。

先生が現役医師の間に、良い方向へ向いていくように実現しましょう。」

と。


わたしはIQが高いだけで

障害者とは認められなかった。

IQが高いだけで、他のことは目を瞑られた。


わたしたちが必要としていることが何か、知ってもらう必要がある。

わたしのように、世の中に、社会に、法律に絶望させられる人が減ってほしい。

この世に理解者がいない=この世から見放された、も同然なの。

こんな絶望、しなくて良い。


全ての人に理解は出来なくても

せめて支援者だけには理解をしてほしい。

中途半端な理解をしている支援者は、必要ない。

理解をした気持ちになっている支援者は、必要ないのです。