「ねぇ、先生。

私が学生時代に、看護学校で、受けてきた教育って、パワハラだった?」

精神科の主治医に尋ねた。


ずっと気になっていて

ずっと聞きたかったこと。

でも、第三者からの言葉がなんとなく怖くて聞けなかった。

ようやく、聞いた。聞けた。


先生は

「かなりね。

ギリギリではなく、かなりのパワハラだったと思う。」

と言ったんだ。


ああ、そうか。

やっぱり、そうなんだ。

北海道の看護学校のパワハラ問題がニュースになった時

正直、私はさほど驚かなかった。

だって

私が言われてきたこと、私がされてきたこと、私が受けてきたこと、と違いが全くなかったから。

何が違うの?どこが違うの?

と聞きたくなるくらい、似通っていたから。


私は、当たり前だと思っていたの。

それが看護学校の教育、生命の現場で働く者への指導なのだと思っていた。

傷つくことがあっても、苦しくても

行き過ぎた指導を受け入れていたし

慣れていくことで、当たり前になっていた。

でもそんな生活を続けていくうちに

気がついたら大切なものを失っていました。

私、感情がなくなっていたんだよね。

何をしても感情がフラット。

喜怒哀楽を抱かない人間になっていたんだよね。

看護師なる前にロボットになってしまっていたんだ。


私はもうひとつ先生に聞きたかったことがあったの。

それについてもようやく10年越しに聞いた。

「あの時私に弁護士を紹介しようか?って聞いたのはパワハラだったから?」

答えはYESだった。

学生時代、先生から

「たたかう気持ちがあるのなら弁護士を紹介するよ。」

と言われたことがあったんだ。


今になって、点と点が線になった。


「でも、どうして1度も看護学校を辞めなさいと言わなかったの?」

と聞いたら

「◯◯ちゃんが、どれだけ頑張っているかを知っているのに、辞めなさいとは言えなかった。

それに、アナタから学校を奪ったら生きる道を閉ざす気がした。」

と言われた。


改めて聞いて、私はいつ切れるかもわからない綱を渡っていたのだと気づいた。

だから解離しているんだということも。


自分の心を守るために

私は記憶を失っているので

人生の半分以上の記憶がない。


その記憶がいつの日か私のもとへと帰ってくるのかどうか。

それもわからない。

でも

失った記憶は失ったままの方が

私には幸せなのかもしれない。