母親の事1 | NEVER ENDING DREAM

NEVER ENDING DREAM

あきらめない夢は、終わらない?

兄同様、何故か私にひどい事をしてきた母親。

 

子供の頃、母親の作った変な服ばかり着させられました。

人間で着せ替えごっこをしたかったのでしょう。

私が生まれるまで兄に、リボンを付けてスカート履かせていましたから。

 

幼稚園の頃、髪が短かったときは、耳の前の髪をゴムで縛って、横に飛び出るという変な髪型にさせられました。

そして、美容院の娘さんがパーマをかけているのを見て、その美容院で私にパーマをかけました。

臭いし髪は絡まるし、嫌でした。

取れてきた時、また連れていかれたのですが、私は嫌だと言いました。

どんなに嫌と言っても、母親は止めようとは言いませんでした。

かなりの時間が経って、私も疲れたのでもういいよと言いました。

 

これって虐待ですよね。

 

母親の作った服しかなくて、でも私だって着たくないものは、着たくないです。

私が拒否すると、それから母親の関心は無くなったようですが、なにせ服が無い!

お店で買った服、ちゃんと着れるのが上下合わせて1着。

毎日同じ服、それもズボンの縫い目が破れて、下着が見えていました。

それでもそれしかない。

クラスのみんなは、「下着みえるよね」と話していました。

今なら縫うという事も出来ますが、子供の頃だったのでそんな知恵も無く。

普通の服を着ている、皆が羨ましかった。

 

中学生になったとたん、母親が私の制服のスカートにアイロンをかけたのですが、焦がして穴が開きました。

それしかないので、我慢していましたが、同じクラスの男子が私のスカートをじっと見ている。

やっぱり恥ずかしいという事で、つぎをしてもらいました。

それでも恥ずかしい。

 

それ以来、自分の服のアイロンがけは、自分でやっています。

おかげで、アイロンがけが上手になりました。

 

祖母との話です。

父親方の祖母と一緒に暮らしていましたが、母親との相性が悪いと言うより、祖母に対してひどい態度を取っていました。

祖母は「おばあちゃんの事が嫌いなら、出て行けばいいのに。ここはおばあちゃんの家だから」とよく言っていました。

その時はふ~んと聞いていましたが、本当にそうだと思います。

 

祖母が絨毯の上に、コップを落として水をこぼしました。

ただの水ですよ?

それを見た母親は「お前何でこぼすんだ!ちゃんと拭け!!」と、祖母に怒鳴りつけました。

それから時間が経ち、同じ場所に甥っ子がサイダーをこぼしました。

そうしたら母親は嬉しそうに「いいんだよ~いいんだよ~」と拭いていました。

最低ですね。

 

小学生の頃、母親に怒られた(理不尽に怒る)私は、祖母の部屋に行きました。

しばらくして祖母の部屋から出たら、待ち構えていた母親に腕を掴まれて「なんでそんな所に行ったんだ、この!!」と言って私を何度も叩きました。

私の声を聞いた祖母が出てきて「頭叩くな」と言ったら、母親は「うるさい!!」と言ってまた何度も叩きました。

 

祖母から聞いたのですが、子供の頃妹をはさみを持って追いかけたらしいです。

その叔母からも、昔は仲が悪かったと聞きました。

その話を聞いて、母親ならやるわよね、と納得したのでした。

 

以前迷惑系ユーチューバーが、会計前のものを食べて、問題になりましたね。

子供の頃母親と買い物に行った時、会計前のものの袋を開けて、食べ始めました。

私はお金払っていないんだから駄目だよ、と言ったのですが母親は「後で金払うんだからいいんだ」と言いました。

その非常識さに、子供ながらこういう人間にはならない、と思いました。

 

親のやることは正しい、と思わない自分は偉い。

 

何故か兄には言わないのに、私には勉強しろとうるさかったです。

どうせ高校までしか行かせてくれないのに。

友達には大学には行かないよと言ったら、「勿体ない」と言われました。

英語が飛びぬけて成績が良かったからです。

田舎なので、親は二人とも高校をでて働いて、自分でお金を貯めて23・4歳で結婚。

式は自分で出すと思っていたと思います。

そんな事勝手に思われてもねぇ。

 

結婚して幸せになった人、見た事無いんですけど。

 

で、今も独身で~す( ´艸`)

 

あ、結婚したとしても、式とか披露宴とかしなかったですよ。

そんなお金が有るのなら、生活費に回したいから。

貸衣装に数十万出す価値感、私には有りません。

 

20歳になった頃、母親が私の振袖を買ったと言いました。

私ははぁ?ですよ。

成人式に出る予定は無かったのですが、親が勝手に出席にしていました。

行く気のない私、美容院を予約していませんでした。

成人式の前日、猛吹雪で家に帰れず、街中で同棲していた友達の所に、泊まらせていただくことに。

そこで成人式の話を聞き、出席することにしました。

ちなみに、成人式は延期になり、当時の職場の2階に会場変更!

要らないものはロッカーに入れて、身軽で良かったです。

おっと話が逸れた。

でも、私が欲しかったのは振袖では無くて、高校を卒業した時にスーツが欲しかった。

そうです、面接は普通の服を着て行ったのです。

親の常識って一体…。

 

母親はよく「常識だろ」と言っていました。

常識の無い人間の常識って、非常識。

 

そうそう、親と旅行に行ったのって一回しか有りません。

大人になって遠征に行くと、子供が飛行機に乗ってホテルのバイキング食べているのを見て、羨ましかったですね。

私は子供の頃、必要なものすら買ってもらえなかったので。

 

母親は掃除も、滅多にやりませんでした。

汚れてどうしようもなくなって、やるという感じでした。

私はそれが普通と思っていました。

他の人と、そんな話はしませんからね。

あるとき卵焼きパンを使おうとしたら、母親が使ってそのまま放置したため、ガチガチになっていました。

怒り狂う私。

私は使ったら、即洗います。

何か作ったら、終わった頃には洗い終わっている、位の勢いで。

汚れたらすぐ洗う、それが一番楽なのに。

という訳で、私が一人で台所を使うようになってから、だんだん綺麗になっています。

 

あるとき母親に「お前のためにいくら使ったと思うんだ」と言われました。

子供を育てるのは、親の義務。

何も買ってくれなくて、恥ずかしい思いをさせる位なら、産まなければよかった事。

そしてその言葉は、絶対に言ってはいけないのです。

 

他にもいろいろ有りますが、書ききれないのでこの辺で。

まぁ、私に対して嫌な事をしてきました。

虐待です。

親ガチャ、大外れをひいてしまいました。

あっ、兄ガチャに兄嫁ガチャも。