hagure1945翁のエントリー「第三次世界戦争はもう始まっている」にコメントを入れてみた所、以下のようなお言葉を戴いた。

 

>コメントありがとうございます。
>このコメントに書かれた内容をさらにブログできちんと書いていただけないでしょうか。
>とても重要なご指摘が多々あるように思いますので、お願いします。
>コメントをブログで取り上げさせていただきますね。


「ある程度、あの国を見ていると気がつくことでは? 」と私などは思うのであるが…。
少なくともhagure1945翁や一黙殿、やまちゃん殿といった方々は既に解っていることである気がするのであるが、視点を整理する為に書いてみることとした。

・結論を言おう。「中華文明圏」=「ディストピア文明圏」である。試験に出るから憶えておこうね。
※個人的にはここで「MMR」みたいに「な、何だってぇーっ! 」とかやってくれると嬉しかったりする。


まず、中華文明圏というのはいわゆるネトウヨ御用達などと言われることがある用語「特定アジア」の国々のことである。
つまり、国名でいくと「中華人民共和国」「大韓民国(南朝鮮)」「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」の三ヶ国である。
日本は「日本文明圏」と重なり合って存在しているので「日本=日本文明圏」で良い。試験には出ないと思うが憶えておくと楽である。
東南アジア諸国はというとちょっとややこしい。地理的には「中華文明圏」と「インド文明圏」の間に位置するのだが「イスラム圏」も重なり合っている。
三つの文明圏の性質をミックスしているといえるだろう。で、中華文明圏と日本と東南アジア諸国は「海洋アジア文明圏」或いは「ミルクを飲まない文明圏」であるが、「家畜の乳を活用しない」くらいしか共通点が無くなっている。

そして、しつこく書いているが中華文明圏は以下の特徴的な性質を持つ。

・「食人」を肯定する
・「支配」のロジックが最優先される
・構造的に他の文明圏が優位にある事を受容出来ない


以上の性質である。結論を前に言うと章タイトルで書いた通り「ディストピアしか成立し得ない文明圏」なのだ。
 現代文明世界では諸文明の基礎には「食人」の否定がある。
 古代には「葬送における食人儀礼」があった。が、これは中華圏のとは性質が異なる。
まず、平時には行わないし「死者に対する愛と敬意」に基づいて行われるものである。共同体の「倫理」に基づいて行われるものなのだ。
平時に「両脚羊」などと言う名前で、食材として人肉が売られる等と言うことが起きるのは中華文明圏のみだ。
で、これが基本的な部分の問題でもある。「人間は人間を食べない」という事項は「人間の倫理」の基本なのだ。これが保証されない状態が「支配しやすくする」という理由から維持され続け、挙げ句の果てに支配する側すらもこのロジックに従う以外の選択肢が無くなった。
 これが「統治」が存在しないという性質の原因でもある。何故ならば「統治」は「治める側も法に従う」事で成立し、治められる側もこれを肯定して受け入れる必要がある。そして、これを成立させるには共通する「倫理」が必要なのだ。

・法   人間の共同体である「社会」における「罰を伴う外的な禁則事項のルール群」
・倫理 共同体内の「人間」の内面における「共同体をつくっていく為の内的な禁則事項と推奨事項のルール群」


 これらを共同体内で共通の規範として持つことで初めて「統治」が成立する。倫理の基盤は「隣人を平時の食材と見なさない」事でもあるからだ。
これが保証されない社会で「倫理」は成立し得ない。「法」と「倫理」の両輪があって初めて「統治する側」と「統治される側」の間に共通する規範と価値観が成立し、統治が可能となる。
 こうして考えてみると「人間は人間を食べない」というたった一つのことをどう扱うか? それだけでここまで違ってしまう。葬送儀礼としての食人が消えていったのも同じ理由であろう。基盤となる事柄に例外をつくらないという流れがあったと考えられる。
 倫理がある社会でこそ「倫理と両立する勇猛さ」とそれに支えられる「道徳を持った戦士」が生まれる。これが無い社会では「獣のような強さ」は持ち得るが、それ以上にはなり得ない。
三国志で劉備一行が道教における神としてまつられた経緯はここにある。武侠としての「倫理」に近いものを有した「精強なる戦士」である「関羽」と「張飛」を従えた「劉備」は「倫理無き社会」においてどれほどまぶしい存在であったか? まあ、彼らも食人をしたりするのであくまでも中華基準ではあるのだが。
 孫子などの「兵法」が生まれた理由もここにある。「倫理」に支えられた「戦士の強さ」に対して脆弱な中華圏では「相手の強さが生かされる状況で対峙しないで勝利する」為に「あらゆる手段」で「勝利の為の状況」をつくることが求められた。
 構造的に「戦うことにおける強さ」を得ることが難しく、強さを持った場合「倫理に基づく自制」ができないが故に。
 「強さ」を持つものをあらゆる手段で「劣位」に置くか「排除」しないと権力構造を維持出来ないが故に。
 中華圏の「宿痾」に対する「根本的解決をしないアプローチ」の成果が「孫子」を筆頭とする「兵法」なのだ。
 中華世界とはホッブスが「リヴァイアサン」で述べた「万人の万人に対する戦い」が休み無く続けられている世界である。
 あらゆる手段でやれるなら倫理などみじんも無く行われる「超限戦」を万人が万人に対して休み無く行っている「毎日が超限戦! 」な世界である。
 人として生きていたくないイヤすぎる世界である。
 毎日が日曜日(収入が保証されている状態)であったり、株やFXを薦める場合に出てくる「毎日が給料日」なのは嬉しいが、毎日が超限戦である社会など、私はごめんだ。
 中国で金持ちが逃げたがるのも当然であろう。まあ、それでも吉幾三の「おら東京さいくだ」みたいに「東京でべこ飼う」ならぬ「中華的な自分のままでいようとする」からそのうち叩き返されるであろうが。金全部むしり取ってから…。
 私は「ジョージ・オーウェル」が中華文明圏を訪れていたら彼の「1984年」等の文学作品は生まれなかったと考えている。もし、彼が知ってしまったら「彼が想像したディストピア」を遙かに凌ぐ「現実のディストピア」を目の当たりにして「私の想像より遙かに酷いものが既に現実に存在していた」と筆を折っただろうから。

倫理が成立しないから「倫理」と「法」の両輪があってこそ成立する「統治」も当然あり得ない。
この点において「中華文明圏」は他の文明圏に対して「決定的な劣位」を解消出来ないという問題を抱えることになったといえるだろう。

・堕としきるまで何回目?

「悪貨は良貨を駆逐する」
グレシャムの法則


で、中華は以下の視点からいって他文明に対して基本劣位にある状態を脱出出来ないという問題を抱えた。だが、幸いというか不幸というか地理的に「ユーラシアの端っこ」である為に「他の文明圏」による影響が限定された為現在に至るまで続いてしまった。かつて、北狄と言われた北方の遊牧民やモンゴルに征服されたが彼らは「中華」に呑み込まれた。これは「支配する少数」と「支配される多数」という対比と構図の問題でもある。長く中華に接していく内に呑み込まれてしまうのだ。モンゴルは「イスラム圏」なども知っていた為「中華圏」よりも文明的な存在を既に知っていた。
 日本は中華圏の影響を受けたが元々独立した文明圏であり、海のおかげで「軍事的に併呑」されることも無かった。この結果として「中華圏の影響を受けつつも倫理があり、中華文明圏に対して優位にある文明圏」であり続けたと言えるだろう。日本のことをかつて「扶桒国」とか「蓬莱」と呼んだことは案外これがあるのではないかとも思う。倫理がある世界は彼らにとって見果てぬ楽園でもあるのかもしれない。

だが、西洋による「地理上の世界と文明圏の一致」という大事業によって、中華文明圏は己が「逆転が不可能なほど劣位にある文明圏」であるという事実を突きつけられた。
 自分達より遙かに巨大な量を持つ優位にある文明圏に対して歴史的な「中華に取り込む」手段は使えない。かつて「苦力」として出て行った中華系の人達は「中華圏」をルーツとする「移民先文明圏」のものに変わっていった。
 そして、彼らがそれ以外の選択肢がないなら良かったのであるが「日本文明圏」が隣接していた。元々、他の文明圏と交流し、学び、吸収して成長と変化を繰り返しつづける文明圏である「日本文明圏」は「明治維新」という「近代文明世界の受容」を成し遂げた。
 それだけではなく「日露戦争」での勝利という「西洋文明圏の絶対的優位」を覆し得るという事実を示した。
 劣位にある事実を突きつけられ、「支配」の為の権威と優位性を「西洋の力」に酔って打ち砕かれた「中華文明圏」は自分達の根底を変えずに「日本の成果」を取り込んで継ぎ接ぎでの再生を試みたのだ。結果はまあご存じの通り「醜悪すぎる失敗」となったが。
 根底にある問題を解決しないでやったのだからまあ当然である。

 が、中華文明圏は彼ら流の「対応」を始めた。根本的解決をしないで行うには「相手を同レベルまで引きずり落とす」以外にない。そして、人間というのは「維持」と「向上」は難しいが「堕落」は容易である。かくしてあらゆる手段を持って「構造的劣位」にある自分達の「劣位を解消」する為に「中華の逆襲」が始まった。
 アメリカだと「クリントン夫妻」が一番解りやすいだろう。一番中華的に「堕落した」アメリカのパワーエリートである。
 グレシャムの法則のように「倫理的に堕落した人間」に席巻された社会をつくり、そこから更に倫理的に堕落した人間に席巻させる。これを繰り返していけば「西欧文明圏」は「中華文明圏」並に倫理が堕落し、喪失した社会にできる。劣位を覆す事ができる。
 日本も同じだ。近代の中華圏にとって日本は「ルーツ」なのだ。だが、日本は「中華」ではない。中華には決してならない。ならば「中華は日本に対して優位にある」事を確定させる以外に「日本を併呑出来ない状態故の問題」を解消する手段がない。
 日本にとって中華が求める解決は「日本文明圏の崩壊」を招くものだ。当然これにたいする防御反応が始まった。これが現在の状況につながっている。

・魔宴の支度

「かくして役者は全員演壇へと登り、暁の惨劇は幕を上げる

平野耕太著「HELLSING」9巻より「少佐」の台詞

だが、彼らが忘れていた問題があった。
いくら堕落したとしても「倫理」を喪失すると西欧文明圏というか「他の文明圏」には致命的な事態となるという事実だ。当然、自らを守る為に「中華の毒」に対して「防衛と対処」を始めることになる。
 トランプ氏はこの流れに乗っているといえる。彼は「中華の毒に汚染されたワシントン」の住人ではない。ヤンキーの倫理を失っていない人間である。世界中で「中華の毒」を排する為の反応が既に起こり始めている。
 だが、中華圏は「中華の毒」を出し続けることをやめられない。やめるなら自分らが消えるからだ。鄧小平の「改革開放」が「一時的にやめて時を待つ」為に必要な「持久力」を奪ってしまったから。これは鄧小平というか、当時の首脳達の判断ミスでもある。冷戦終結で浮かれていたアメリカなど西欧圏のミスも重なったのであるが。
 この流れの中では「中華文明圏」による「倫理喪失による文明崩壊」を防ぐ為の「抜本的な解決」が避けられない。すなわち「最終的解決」が。
 そして、アメリカも「中国」だけを排除しても解決しないと言うことを既に理解してしまった。「中華文明圏」への「抜本的かつ不可逆的な解決」が必須であるという認識に至ったのだろう。
 元々、宗教的熱情からアメリカに移民したというアメリカ人のルーツからすれば「異教徒以下」に堕とそうとする「悪魔の使い」を許容できる筈も無い。しかも中国は倫理がない故に「倫理」を持つ相手がどういう反応をするかと言うことが理解できない。これも致命的であった。
 そして、今世界は変動期を迎えている。トランプ政権のロシアへの接近も「中華圏への対応」の一環と見なして良いだろう。ロシアは「欧州世界と中央アジア圏との境界」に位置するが東方正教会由来のロシア正教会による「キリスト教文明圏」の一部なのだ。つまり、中華と異なり「倫理を捨てることができない文明」であり「中華の蚕食」の最前線にいる国家でもある。犯罪国家扱いされている現状でも「文明圏の敵」というか「世界の敵」となりつつある中国とは敵対する以外の選択肢がない。それを考えると昨今のトランプ氏へのロシア疑惑も裏がある程度の推測ができるだろう。トランプ氏はアメリカというか、欧米圏のリベラルな「自分の正しさを押しつけて従わせる事に執着する」連中をほぼ全て敵に回している。日本の安倍首相もその点では同じだ。日本のは大半が金の流れを追ったら「どこかの国からの資金」が流れている連中だろうが。
 hagure1945翁が指摘したように既に戦争は始まっている。「世界」の戦争が始まっているのだ。

 既に「世界」がお互いの存亡を賭けて戦う「魔宴」の支度が始まっているのだ。

 役者は揃った。支度もあと少しで終わるだろう。魔女の釜の底のように熱い世界で、地獄の釜の底のような「魔宴」が始まる。