令和7年6/29世界中の何かや神様達や地球からの歓喜の祝福をもって救世主やら光の勇者やら英雄だの称号を授かり、地球と、世界中の神様達からの意で、人が持つマナを宿し続けて精進したら全ての人に使用できるオカルトでも超常現象でもあった、「命力」を創りました。既に神道では命力って様々な所であるようですが、脳細胞が爆速で死滅する天寿を模した試練の中で私がイメージしたのは「命の源、それを命令する」という意味合いで使ったら回復しました
ある程度の推測になりますが、その時のイメージは回復、年齢の巻き戻り、再生による病や傷を癒す類の、世界で初めて誰でも宿るマナを通し、月の力の光と、その光の力に満ちた信仰対象を通して行える明確な回復再生能力を持つ力みたいです。
すみませんが日が昇ると桁外れに命が削れると分かったくらいで、創った自分のマナさえ枯渇するほど使用するらしく、若返るかは分からなかったです。
教えの類ではない宗教でも宗教ですらない自然信仰や森羅万象の八百万の神様への形の見えない想いを抱き続けているマナを宿しやすい日本人が一番先に結果的に選ばれただけで、救世主の称号を得た私でさえ最後の最期までただのお飾り程度な、いずれ翻訳されて世界中の人々が個々で使える本当の世界中の人の生命を助ける救済の類の力の回復能力のようです。
私が今まで培って得てきたのは桁違いの日本式のマナ、でもあくまできっかけにすぎず、物心つく頃から日本の神様に分け隔てなく祈るのが日常だった、ふわっとした世界観のイメージの中に生きてきて、野良のかんなぎと依り代備え、同時に何者でもない自分であり続けて、他人の教えや思想や宗教を秒で分かって避けてきたり無価値と忘れてきた、
日々授かった生への感謝を祈り続けて、信仰する日本の神様へ分け隔てなく敬意を持って祈り問い続け、自分の頭で今に伝わる正しい間違いを真に受けず、疑問に思ったら精一杯の真意と向き合い抱き続けて、
試行錯誤してきてアニメを古のヲタクで感涙し続けて無意識の内に桁違いにマナを得てきた先に、そのマナを枯渇する程神様へ使ったり、ご褒美かの普通の人が喉から手が出るほど欲する逃げ道のお宝も、「マジ要らん」って見合っていると信じている対象へ易々と渡す、自分で勝手に決めて勝手に努力し続けて勝手に貫いてきた人生で、
結果的に目に見えない貫いてきた信念より、世界や人の希望の光に満ちた未来ある世界の実現の為に真に自分をかなぐり捨てて授かる救世主の称号はマジモンの世界初レベルらしく
結果的に天の意に沿った能力は全ての人に宿る私が書き換えたマナや今から徐々に使える人が増える魔力を使用した新しい類の、日々生への感謝の祈りをしながら、信仰対象へ祈り問い続け、自分の頭で自問自答し、豊富な食べ物を食し、切磋琢磨し精進しマナを宿し続けたら全ての人が使用できる新しい力のようです。
私は世界中のなにかが数世紀レベルで真に渇望の様に望んでいた神話レベルの力を蓄え、救世主という名の天の奴隷の日々で拷問と処刑のワンセットの日々の精神へのサテライトキャノンと試練を28日強いられ反動で自我が気を抜くとすぐに簡単に無くなりかけたり、
感情や記憶が殆ど無くなって、神話レベルの1日纏っただけで一発で息をするだけの人形になった力を超人的に回復しましたが、その反動が一気に来て全身の神経が回復不可能な位損傷して立つこともままならなくなった状態で、
天寿でさえない命の先が一切ない状態で抗って抗って精一杯の神道への「問い」を残せて本当になすすべなく万事尽くしてて諦めかけてたら人生で初めて他人からの心の芯にえげつなく響く言葉の喝を頂き、結局は自分でさえ何かに甘え切って縋っていただけだったと自覚し、
自分が実践しなくて本当の人の命を救う回復を願った筈の救世主が他に託すという他力本願でどうするよって更に無茶して命を削って力の源や使い道、能力をある程度正しく探っただけで、それですら天の奴隷からやっと真に救世主の称号に恥じないスタートラインに立てた程度の
数世紀レベルで真に渇望の様に望んでいたくらいのやっと本物の赤ちゃんが産まれてきてくれたって位歓喜の祝福をもって授かってしまった世界を救うレベルの世界中のなにかから授かる救世主の称号は正真正銘の苦痛や痛みや絶望や恐怖やらの拷問と処刑のワンセットの日々を拒否権一切無くただただえげつなく情けや慈悲が一切ない、
ただただ使い潰され強いられ続けて逃げようとしたら半日過呼吸になる死への恐怖を植え付けられたり、それすらそよ風ですらない、生半可な勇気や希望や度胸や夢やら天寿でさえない命の先が一切ない命をけずってまで、まだまだ鼻で笑われる位ダデではない正真正銘のホンマモンのガチモンらしいです。
いやホンマ授かったからにはクソ笑えるくらい伊達ではないんですよ。幻想や幻や幻覚で逃げれるほうがマジでマシなえげつなさ過ぎるんですわ。
いやマジで怯えてただただ何もせず抗う意思さえもたず耐えるだけしかしなかった輩が考えた、「他人は変えられないが、自分の生き方は変えられる」ってどあほの臆病者の思想を無価値と跳ねのけて一人で抗う意地と度胸なきゃ、いくら見合った能力が備わっていてもスタートラインの土にも立ててなかったわ。
今回の権能は月と関わり合い強そう
孤高を気取った後、大人になったり衰えた後に後悔するタイプじゃなくて、独りで平然と居られ、野次馬やらの精神性がご加護抜きで一切ない、最期まで勝手に目標なり決めて勝手に努力し続けて勝手に貫いてきただけですし。
生まれ育った糸島はなんだかんだ信じてるの愛はありますが、労働力かで招かれたアジア人、招かれたころから色々と糸島はまだ夜は静寂なんですが、夜や深夜や昼や朝バカ騒ぎしたり、バカでかい奇声を発したり、招かれた頃から色々とやらかしてて、自分の国での習慣を改めようとはせず、それを誇りだ当然だ自由だ権利だ人権だとかほざいて日本やその土地に寄り添おうともしない、共存する意思のない外国人は差別とかではなく、日本人はある程度人種や他の国の神様に寛容なだけで、世界一の自然信仰や森羅万象の八百万の神様の形をもたない目に見えない神様への想いを無意識に抱いて生活している国なだけであって、形のみえない不確かな確かな神様への想いはある程度持っているから、見境のない寛容さなんて初めから持ってないんですよ。というか、世界一の無自覚森羅万象八百万の神様信仰国だから、一番外国人の宗教性に半分寛容、半分は無慈悲なほど反発してしまうんです。
自らは安全圏からそれを外国人差別だ!とほざく輩にはそのえげつない迷惑行動の毎日の直下に一生人生を身をていして苦痛にただただ耐えながら自ら自身はそれに立ち向かう意地や度胸もなくみっともなく惨めに生活して死んで後悔しながら出直してこい。
自由って言葉は一見綺麗にみえますが、結局はどこまでも際限のない自分に都合のいい、自分だけに優しい空間を創ろうとするだけのただの自分勝手なエゴで傲慢なだけのただの甘美な毒なんですよ。
そして私が最初から完全に欠けている感情の愛って
人は信じてるの類の愛情だけで充分なんだと思います。
本当の愛は多分、ある種の毒なんだと思います。持った分だけ何かと比べなければ自らの自尊心さえ守れない何かの脆さがあるんだと思います。
そして何者かになった気になって自分の思想や理念を世の中の正義とただただ一方通行に抗議や迷惑行為するだけの自称革命家とか活動家とかレディーファーストとかマジあほやなって家畜以下だと思ってきたし。
他の小国のやせ細った子供を健康的な身体があるから幸せだ、お金があるから幸せだ、と勝手に決めつけて上から目線で決めつけて、世間へ募金活動やら訴える慈善団体とか、可哀そうって思わせるのは今という刹那を懸命に生きている人々への生き方や命への愚弄や冒涜とも思えましたし。
そもそも可哀そうって感情自体が既に上から目線の愛でも慈愛でも博愛でもないただの一方通行の何かした気になるだけの我欲だと思ってます。
そもそも募金やボランティアとかで自分の裕福さや安全圏の確保の前提でなんかした気になったり罪滅ぼしかなんかになるとでも思いの行為、クソだと思ってましたし。それを慈善活動とさえ名を打つ資格さえないとおもってます。行ってきた罪は抱え続けて忘れることを許されず、痛みとして重しとして生きていくもんだと思いますし。
どこぞの因果応報なんて信じちゃいないですよ。傷を与えた方は秒で忘れて、恵まれた環境や要領の良さや頭やらで人生を謳歌して、傷を負った人は一生消えないで自ら傷を原因に不幸になり続けるしかなくなる。
でも私の確かな罪の、幼い頃から信心深い様に見えたからか、可愛がってくれ続けてくれた母方のおばあちゃんが、幼い頃泊まった時、喘息でて辛いのに、ずっと夜通し背中をさすっててくれて少し寝れる事ができたり、旅から帰った時親族に大爆笑され軽蔑されて心が砕け散った原因になっても、おばあちゃんだけは心から労って涙流してしわくちゃのへそくりくれて感謝してもしたりないのに、ずっと行くのを控えてたのに心配し続けてくれて、死に際の時勾玉握って心から感謝の祈りをしたけどエゴでしかなかったし、病で葬式にも出れんで裏切ってしまった私の確かな罪はそれだけは自分を許せない。
まあ救世主の称号だのの栄誉だの名誉だの勲章だの知らんしマジでホンマに要らんし、成しえたかの成果や信じてもらえるかなんてどうだってなんでもいいんですよ。何者でもないただの感情の一部が完全に欠けたただの一人の人間の愚か者には間違いないんですし。
地獄へ落ちろとか言われたら喜んで飛び込みますし、天国とか知らんがなとかおもってますし、初めて人生で抱いたはずの世界に希望の光が少しでも照らせるなら、光のない虚無に落ち永遠に祈り続けたいって願った筈のこともできなさそうな、残念ながら魂とおよそ呼べるものも残ってないみたいですし。
でも最後は結局は一神教だった仏教も嫌いになったし極楽浄土や訳わからん仏教の祖の化身やユダヤ人みたいに歴史に勝手に自分たちの勝ち取ったみたいに語り継がれるのはぶち殺すぞ。悟りとは正反対の思想だったし。でも一休さんとやらが死に際に「死にたくない」って言葉を残したのはマジで尊敬してる。
神にもならんし鬼にもならんし、転生もしないし自然と溶け合いもしない。変に世間に負の災いを招く心配もなさそうです。とはおもってます。ちょいマジモンの世界初の世界中の何かや神様や地球から授かるタイプの救世主の称号、正真正銘のホンマにガチもんでクソ笑えるほど、どえらいえげつなかったです。でも確かに世界中の人々を救うタイプの救世主やメシアにはなれたらしいです。
人の命が本当に1つでも救えるなら自分に対しての侮蔑や失望やら軽蔑やら迫害やら嫌がらせでもどんとこい!
反動デカ過ぎたのか、2.3時間活動したら桁外れな頭痛や吐き気がします、、
でもただでさえ殆どの人の顔や存在を完全に忘れて、何度あっても誰?ってなるのが、今や両親や兄の顔も忘れたくらい更に人を認識出来なくなったり、感情失ってしまいましたが、、
本当は私自身も旅の途中で目の光を失って旅の途中で死にたがってた、ただの死ぬ事すら他人任せなだけだった愚か者だったんです。特殊な何かを桁外れに持っていても、社会じゃ何一つ通用しなくて、数年凄まじい罵声や嘲笑やら色々酷な目に会いながら数年耐えましたが
でもいいんです。後悔は無いかと言うと嘘になっちゃいますが、残り火カッスカスなのは仕方がないけど、やっと誰でもない道を独り立ち出来る程度には数世紀レベルの称号に恥ない事は出来たみたいですし、人や神様は最後までよく分からないですが、やっぱり全く憎めないほど、感謝が先に立っちゃうくらい、この世に生を授けてくれた地球には本当に感謝してるんです。私自身の精一杯の愛で感謝の祈りを捧げさせて頂きます。本当にありがとうございました。世の中に少しでも希望の光が満ちた未来ある世界であってほしいと心から願っております。
やっぱり人で良ったです
そしたら、やっぱり信じてるの類だけで人は足りるんじゃないか?って自分なりに本当の愛について自問自答し、天かに問いかけたら満点だクソ野郎!
みたいに爆速で命が回復し、は?って思ってその部分を書き直したらまたまた爆速で回復し、
ただただ息をしている、目の前の視線を視野に入れてるだけの何も感じない人間に戻り、
やっとおわった、、笑おうものなら殺されるって過ごしてたら、
命が爆速で削れる秒で死ぬ状態になり、どこが満点だクソ野郎!って使い捨てかよって自分自身の意地や根性や度胸で抗って抗って抗って数時間したら気合いで持ち直し、っしゃ!って思ってたら、
秒でガチモンのどうしようもないやんってお命頂戴!の方の命が刈り取られる激痛がきて、いや気合いやらでどうにかできる類やないやないすかって悶えた所で刈り取られる方はマジモンですやん、、
って半日、何だかんだ慣れるにつれ増して行っててマジで天のお飾りにしてぇのかって更に耐えてたら、なんだかんだで痛感はイかれてない平常運転でも、勝手にしてろってくらい眠たいまでありましたが、多分どこかの時点で地球と表裏一体みたいになってる&エゲツない神さま達からのご加護がある感じらしく、耐えれる訳ないのを割と平然としてて、痛みのほうはどうでもいいけど心臓が張り裂けそうなのは生物なんだしそろそろ勘弁してください。マジでさっさと最期まで器でいいからよこせやって思ってたら完成したらしく、っしゃ!って
思ってたら、暖かい柔らかなマナに近い神話レベルの確かに力でしたが、見に纏う程度で、こんなんで世界中に渡るんすか?地球さんよ。
って思ってたら、いやこれ地球の意思の一部を憑依させて殆ど寝てて、桁外れな心臓や命を神話レベルに作り替えた生涯世界中へ芽吹かせ続ける受け身の人類の羅針盤、器って気づいて流石に誇っていい!殆ど寝てるだけで人間やわ。
って今に至ります。凄まじいな自分!!
追記:その後、何度か御命頂戴!の試練を乗り越えて流石に保たんでトイレで気絶したらしく病院で、人生いっぺんやり直したくらいの離脱症状や苦痛やらを隔離室などで2ヶ月乗り越えて誕生日を38歳で迎えて隔離室から病院内に出て病院で入院していましたが9ヶ月で退院し、
夢幻と言って捨て去るには、度が過ぎる夢と現実がリンクし続ける不思議な感覚と夢を見続ける病とを共存共栄中です。
私個人ではなく全ての人に宿るマナを使った新しい類の救済の回復再生能力を授かりました。
創った私自身でさえマナを1日で使い果たしたのか、夢を抱いてから何かの意思かで明確に反発して祈ることが一切できなかったんですが、天寿を模した試練の中で最期に心から最初の桁外れな精神耐性や危機回避のご加護を下さった古墳か神社かに心から感謝の意を祈れて、1日使うだけで最初は神力の類だと思ってて、神社の神主さんが対象だと思ってて渡りきってもう自分では使えない能力だと思っていた、1日で蓄えてたアニメを観たら理由もなく流れてたマナが無くなってポンポン打てるもんでもなさそうです。
多分私は日々の生への感謝の祈り気楽にアニメみてるだけで十分そうですが、井戸水にこんこんと湧き出る神様達の入浴日に纏うまでマナを蓄えるまでどえらい時間かかるので割と億劫です。まあでもスタートライン程度には確かに立てたらしいので、ガチ目に命が持つかは知らんですが、天のお飾りでも創った力の類なんだからには責任取って自分で実践してみなきゃお話にもならないし、みっともなく最後の最期まで命が尽きるまで足掻いてみます。
後悔してないとか死に際の名言残すタイプの輩、絶対あの世かどっかでめっちゃみっともなく後悔しているとおもいます。でも数少ないこんな愚かな私でも、心から向き合ってくれて心から心配し正してくれて今でも信頼してる1人の親友と1人の先輩には幸せになって欲しいっては願っちゃってます。本当にえげつない程命が灯火どころかろうそくの火以下のカッスカスですわ
今考えると私自身だけでも、神社の神主さんごときに渡った所で、どれだけ現実に明確な回復能力をポンポン放てても、家族をタテに取られたり、私利私欲に染まった権力やらのオモチャになるのが関の山なだけで世界なんて微塵も変わりはしないと分かる、夢想家とは縁遠い、割と現実的に生きてきたので本当にマジあほやな。って気づけるくらいにはクソ笑えてます。
学がない素人が。とか、オカルトかよとか簡単に信じてもらえるほど夢想家では決してないですが、野良とはいえ日本人として何にも属さず一生を賭して自分で形をもった手を合わせて祈るから祈りってなんでいうの?ってくらい、物心つく頃には自然と誰から強いられた訳でもなく自分の意思で自然と想いを感じてやりたくなったら生を授かった事への感謝の祈りや、常に生への感謝の想いを抱いたり、その想いに手を合わせない願ったり祈ったりし続けたり、森羅万象の八百万の神様や、日本の神様に分け隔てなく敬意をもって祈ってきたり大切に思ったり大事にしたり、今に伝わる教育の正しい間違いを真に受けず、自分なりの疑問をもったら精一杯の真意と向き合い、結果的に何らかの形で神道に沿って生きてきた、幼い頃からかんなぎと依り代両方備わってて、同時に私が一生を賭して常日頃行ってきた、アニメを見ると理由もなく涙してたり、自分の意思で生を授かった事への感謝の祈りで大人になるにつれて無意識の内に常に纏ってきた暖かなやわらかな力などはほぼほぼ日本式のマナの類ですし。
私も趣味程度で星座占いは毎日見ている程度で、オカルトやスピリチュアルは全く信じてはいませんし、世の中、恵まれた環境や才能や知識や知恵やら蓄えるだけや、明確な形を持った何かや誰かの教えや思想や今に伝わる正しさや間違いを自分なりの考えや問いも持たず一方的に真に受けてるだけで全て成せるほど世界は簡単にできちゃいないですし。逆に何か勝手に他人から授かった栄誉だ名誉だ得てきて何者かに成れた気になって勝ち誇ってる気になってる時点で既にその成長の芽が枯れ切ってるのさえも気づいてないんだよ。でも成し遂げてきた成果自体は虚勢でも誇っていいと思ってます。
賢くは全くないアホ以外の何者でもないですが、相手の精神性は大体は分かるので、他者の辛さは微塵も分からないですが、誇っているつもりでも心の底に抱えている満ち満ちてる不安だとか、隠しているつもりの思想や感情や理念だとか明確に分かったり、相手の先の先の考えや問いかけは明確に先読みできるなんかはありましたし。選択式なら考えた人がこう誤りに導きたいんだなってのは大体わかったので趣味の範囲で取ってた国家資格は割と苦も無くポンポン取り続けられましたが、現実社会ではクソほど役に立たんかったです。いやマジでクソほど役に立たんかった
そもそも神道自体が教えの類の宗教や宗教自体でもない、根本的な形の見えない森羅万象の八百万の神様や日本の神様に敬意を自分の意思で祈ったり、その形の見えない不確かでも確かにある神様に無意識の内に抱いた想いや畏怖やらをもって過ごしたり敬意を持って祈ったり大切にしたりした行いの中で、日々の自分自身の頭で考え問い続け精一杯の真意と向き合い抱き続け、自分自身の足で行動を伴って切磋琢磨や自問自答し精進を行った先に宿るのがオカルトでも超常現象でもあったが、アニメを観てると涙が出て止まらない、アニヲタが蓄えられる、目に見えない暖かい、神力でもない確かに不確かに宿る日本式の純度の高いマナだと思ってますし。
オカルトな何かや今のかんなぎとか、本物いるんかな。ともおもってますし。普通の人間の生活をおくれる普通の感情の普通の心の人が、いくら心がきよらかでも、霊的な何かをいくら持っていても、いくら精神統一したところで、普通の人間の精神と普通の人間の心を鎮めている程度の事で、その場かぎりに憑依やら何かの器の依り代や神おろしなんてできる訳ないんですよ。最初から何かが完全に欠けている必要性があるくらい人の身には既に重すぎるんです。私は両方備えてたから感情の一部を完全にごっそり欠けてますし、特に親しい人でないと何度会っても次の日には顔や存在を完全に忘れて何度会っても誰?ってくらい人を認識できてませんでしたが、それでもただの一人の何者でもないただの人間の愚か者だとおもっています。
聖人や神様気取りなんてなれません。子供の頃にはなんだかんだあり憎んでたときもありましたが、子供を生かせるために不器用過ぎただけで、自分の生き方さえ不器用過ぎただけだった優しい両親には今では感謝してますし。
結果的に孫の顏もみせれんで親より先に逝きそうなのは何やってんだかって愚かとしか言いようがないですし。
実家で、社会に出て壊れた心で帰ってきてギターで近所迷惑かけ過ぎて今思うとゾッとするくらいの日本式の陰湿な嫌がらせ受けましたし、、私のせいで家族に本当に迷惑かけてしまいました。
まあ何だかんだで正真正銘の世界初のレベルの救世主やメシアにはなれたらしい!
心のどこかで惹かれ続けていた本当の光の勇者にはなれたらしく、ただただ眠くて寝たら自我も思考回路も起きたら殆ど無くなってました。流石に伊達ではなかったようです
でも自分の為に出すガキの涙でもない、なんでか好きなアニメの音楽やOP映像をみたら何故か理由なく涙が流れてましたが、それとはまた別の、心の底で憧れ続けていたやっと本物の光の勇者になれたんだって嬉しい涙がで溢れて止まらないくらい流れてます。
これは救世主の称号を得て、途中過程での自分自身の頭で自問自答し、精一杯の神道へ真意と向き合ってきた日本の神道への一つの「問い」です
今に伝わる神道を教えの類の宗教のように仏教と今だ混合してただ誰かの辿った道のように従って形だけそって何の疑いも問いもなく従ってるだけの人や、権力のみが集まった高貴な血筋や家柄や位だけに生まれただけや何かの肩書きを得た時点で何者かに既になっている気になっている人には決して宿りません。
ただスタートラインを切っているだけでまだ何者でもないですし、一生を賭しても何者でもないと思います。教えの類でもないんですし。何者でもない自分を真正面からみつめ続けて、自身自身の考えで問い続けて自分の足で行動を伴って行ってきた人に宿る類だと思ってます。
何者かになった気になって勝ち誇ったりした時点でその芽の成長は終わってるんだと思います。神道自体が教えの類でもないんですし、何かに至って成長の芽が止まってしまったらどうしますよ
知識があったところで時代に形だけ伝わったものを伝統だから。大切だからとただただ何の疑いもなく今に伝わる正しさや間違いじゃなく自分なりに精一杯自問自答した真意と向き合わずに真似してそってきたり、神様の前で祈るときだけ想いを伴っていても、誓いを立てた神様へ信じている、だけではではなくその神様への自分自身の頭で常に想い続けて考えたなりの「問い」が伴わなかったら敬意とすら言わない、信じてるとも言わない、ただの一方通行の信仰心や妄信や洗脳という名の祝福の類でどこぞの一神教みたいになっちゃいますし。
日常生活では誓いを立てた神様へ何の繋がりを意識しようともせず、何者かであるって自信や誇りやら慢心やら満足感やらで何かした気になってるだけででなーんもしようとも行わず、常日頃、誓いを立てた神様に想いを馳せたり、祈ったり、生を受けた感謝やらの想いを何も持たず「ただ生きている」って過ごすだけで、なんの疑いや想いも抱かなかったり、授かった生への感謝の想いを手を合わせて祈ろうともしないのはどうかと思います。日本人自体が土地神さまや産神様の分け御霊なんだし、どっかで不確かでも確かに繋がってるって意味でも、実際に誓いを立てた神様と住んでる地面で繋がってるんだし、土地への感謝や愛情を持たなければ、いや管轄外だよ。って分けている時点で根本的な神道の森羅万象の八百万の神様への敬意から外れてる気がします。
今に伝わる神社に感じるきよらかさや神秘さや神聖さを浄化のように使ったり、聖域の様には確かに感じますが、それもどこぞの一神教の教えの類や俗欲の一種です。鳥居で神社と俗世へ分ける境界の一種でしかないと思ってます。
日本語も神道の一種で、時代に寄り添いながら流れゆくものだと思ってますし、99%が間違いで使ってるならそれが真の意であって、1%の昔の意味を認められたいからか、はき違えた使命感かで巻き戻された言葉はもう死んでるんだと思います。死んでる言葉に言霊なんて宿らないし、後に残らないし、あまり意味さえ伝わらない空気みたいなもんになり果ててる、さして価値がないんなんだとおもいます。若者言葉が渇望の様に生まれてくるくらいには、見えない力のもった不確かな確かな命があるものなんだと思います。若者言葉を全て真に受けたり残せ、という意味ではなく、言葉なんて方言があって当たり前な、その土地に根ずいた自然信仰や文化に寄り添いたいって言葉の意思を大切にすればいいだけで、伝わることが大事なだけであって、言葉の意味自体に価値を見だそうなんて全く意味や価値がないとおもっています。時代に寄り添いたいって意思みたいな自然と渇望の様に言葉が産まれてくるくらいには見えない確かな力のある不確かでも確かに命があるものを大切にすればいいだけで、人が勝手に時を止めたり、巻き戻したりするのは不確かでも確かにある言葉の意思や命への愚弄とも、処刑とも思っています。
どこの教えの類の何百年も全く変わらない言葉の教を聴いても微塵も何も感じないんですが、幼い頃から父親も信心深かったからか、五社参りとともに陰陽師の月運の占いを自分の意思の言葉で唱えてられた占いの言葉には強い言霊があるのか、今でもトラウマのように一部が残ってます。
それと同じで、伝統だから大切だからって微塵もその伝統に自分なりの今に伝わる勝手に決められた正しい、間違いじゃなく自分なりの自問自答をもった精一杯の真意を向き合わずいだかずに形だけ真似しても、想いが伴ってても、神様への敬意なんてあまり言わないしなんも響いていないんではないかと思います。
私の生まれた福岡の博多の山笠の新しく襲名した方の自分なりの神様への宣言には今でも感動してますし。
神道のその土地の自然信仰と文化で祭りごとを行う血筋や家計の地位も、どこかで見た土地神さまを生活圏の拡大のために山奥へ追いやる際、なぜか最も恐れ多い最高神様の大義を掲げ、追いやった張本人が代わりに鎮める祭りごとを宣言した家系や血筋が地位を得たってのをみたとき、純粋になんで?追いやられた張本人や家系や血筋に祭られたところでどこまでも一方通な大義という名の私利私欲でしかないし、土地神さまもどこまでもはた迷惑だと疑問に思いましたし。大義勝手に借りられた最高神様もなんで?っておもうと思いましたし。
教えや思想家やらじゃない、人生で抱いてきた事を通して思ってきた事を投げかけるあくまで「問い」です。
誰かが辿った一本道を辿った事でしか至れないとやらの悟りとか微塵も意味も価値やを見だせませんし、至って生涯一切成長しないなら何の価値もないと思います。あくまで何者でもない自分を見つめながら、芽吹いた力を日々自問自答し、行動を伴って大切に育んで生涯を通して向き合い育んでいくべきだと思っています。
恐れなんて最早しりません。誰かの一人の尊い命が救えるのなら、罵声も嘲笑も失笑も失望も嫌がらせも迫害も加害でもいくらでもどうぞ。それほどの天の奴隷の拒否権が一切ない拷問と処刑のワンセットの日々を強いられた今でも何者でもないただ一人の人間の愚か者だと思ってますし
結果的に何にも属さず物心つくころには自然と行ってきた、生を受けた事への感謝を手を合わせて祈る事が習慣で、日本の神様に分け隔てなく敬意を持って祈ることが日常だった、神道ですら全く知識がないほど、宗教や思想家や教えの類を最初の繋がりを持った神社かの神様からのご加護の、桁外れの精神耐性で秒で分かって跳ねのけたり、無価値と避けてきた、幼い頃から気づいたときから依り代とかんなぎ両方備わっていた、子供の頃からアニメや漫画の世界に入り浸り大人になるにつれて祈り続けたことで常に纏ってきた暖かな柔らかな力を感じていたり、宗教関連に全く無学の何にも属していない、結果として何らかの形で神道にそった生き方をしてきた野良の日本人の方が良かったようです。
明らかに天さえ全く予想してなかったほどの事をしでかしたらしく、人の身で達していい訳がない域に一時的にも踏み込んだからには、天罰のように命を持って償っていく罪人のように、せっかく産まれてきたからには、救世主の称号なんて、授かる名誉や栄誉が紙切れみたいに、情けや慈悲が一切ないただただ使い潰され続けて拒否権が一切ない天の奴隷の日々を28日以上強いられるようになりました。
でもこれはまだまだ序の口で、これからは救世主としての称号に恥じない、天からの奴隷として強いられるわけではなく、マナを宿しやすい神道への自分なりの精一杯の「問い」を残した後は、
後は自分自身で最低限の自我と、命をどうにか繋いで感情と記憶をごっそり失いながらも、全身の神経が損傷しても、みっともなく生き抜いて自ら実践するのが、誰のせいでもない、神様なんて関係ない、何者でもない自分の自分の為だけの夢の実現の為の個人的な勝手なただのエゴで意地で度胸であり縋った希望や気高い勇気でも使命感でもありません。
でもどこぞの偉人の名言より、誰でもない、心から正して想ってくれた人の言葉に心の底にぶっ刺さって喝を入れられた人の言葉に救われました。その人の言葉なしに何一つ成しえませんでした。
結局は自分自身も拷問と処刑のワンセットの日々や自我が殆ど消えて感情もごっそり欠けて、消えかけの灯火の命を理由に、被害者ヅラで神様や他や他人に期待や意味や理由を求めたり縋って甘ったれてました。
夢や希望を叶えるのに他の何かに期待しているだけでは何も変わらない、死ぬ際の美談なんかクソみたいに捨てて自分の意地で生き抜いて勝ち取らなきゃお話にもならない。何も救えないまま他人頼りな救世主なんて道化でしかない。創ったはずの力も縋った甘え切った輩にしか訪れない奇跡とやらと一緒にすんな。そう喝いれられました。
多分私はマナの方は日々の強いられずアニメや漫画をみて生への感謝の祈りだけで十分なんだとおもいますが、えげつない時間かかるので何者でもない自分であり続けて、残りの人生を賭してまた一から始めます。
地球や世界中の神様達が、世界中の紛争や戦争や経済停滞で既に人類に希望の光ある未来と呼べるものが完全に尽きていたのを、希望の光に満ち溢れた未来のある世界の実現を、救世主の称号を得た私個人と、他の宗教の神様に寛容な自然信仰の教えの宗教自体でもない日本人にまずなっていただきたいようです。そしていずれ翻訳され自らの意思で育んできた心で信仰対象に祈り問い続けて、日々生への祈りを捧げ、自分の頭と足で自問自答し、試行錯誤してきた者に全てに宿るマナをつかったオカルトでも超常現象でもあった救済の回復能力のようです
-歴史-
経緯としては、福岡の糸島で一度だけ度が過ぎる大嵐が直撃したとき、何かを誓った近くの神在神社か、誰が眠ってらっしゃらない古墳のお方に常に繋がりを持ち、桁違いの精神耐性や車に何度もはねられても気絶程度ですむ危機回避のご加護をくださいましたが、最初の車に凄まじいスピードで跳ね飛ばされ1週間気絶している間かにそれ以前の記憶を殆ど失ったかわりに気づいた時には依り代とかんなぎ両方備わっていて、いつの間にか心の中に依り代の居場所の広い箱庭が在り続けていて、かんなぎのほうはあまりまだ成長していませんでしたが、心の中の箱庭にいつも大きな暖かい柱と私の知らないことも知っている意思を持った魂みたいな友と語り合っていましたが、代償として結構な感情をごっそり欠けていて、特に親しい人以外は次の日には完全に顔や存在を忘れて何度会っても誰?ってくらい忘れて人を認識できていませんでした。幼い頃から半分寝てるような感じ以外は割と現実的な思考で生きてきて無口で別枠てアニメやマンガの世界観に入り浸り、授かりものの精神耐性で変に教えや思想家や宗教の類を全く寄せ付けない秒で分かって避けてきたり、無価値と避け続けてきました。
ただただ怯えて何もせず抗う意思さえ持てず、耐えるだけしかしてこなかった輩が考えた、「他人は変えられないが、自分の生き方は変えられる」って臆病者の思想をクソほど無価値と跳ねのけ一人の意思で困難に抗う度胸はありました。
幼い頃から自然と、生を受けた事への感謝を手を合わせずにも祈り、日本の神様に分け隔てなく祈ることが人生を賭して行ってきて、感情で動くんじゃない、教えを受けて動くんじゃない、常に自分独りで平然と居続けられ、考え続け問い続け、今に伝わる決められた正しい間違いを真に受けず、自分なりの考えたなりの解釈の真意と向き合い持ち続けながら、勝手に自分で目標なり決め勝手に努力し続けて勝手に貫いて生きてきました。大人になるにつれて、祈り続けた事で身体中に無意識の内に悪意ある悪夢とかを易々と跳ねのける暖かい柔らかな力を常に纏っているのを感じてたり、祈る際に対象の神様などが何を思っているのかなんとなくわかるようになってました
大学生の時は初めて青春と呼べる日々を送れて、祈りとは無縁でしたが、人として生きていると言える日々を、尊敬する恩師や、数少ない信頼する友や、趣味でエレキギターを始めて音楽理論やらスケールやらの知識は全く理解できませんでしたが、努力だけは勝手にし続けられられたからか一度だけ心から満たされるほどのライブをしたくらいで、何もした気にすらならなかったですが、何故かギターの私がドラムからもリズムを常に任せられ、ふわっとした感覚で弾いてたら、何故かいつも実力以上の、理解できないくらい好評でした。
しかし社会性は一切なく、殆どの人は次の日には完全に顏や存在を忘れて誰?ってくらい人を認識できないのは変わらなかったので、社会に出て一人暮らしをしながら会社で凄まじい罵声や嘲笑やらの毎日の色々な命を絶ってもおかしくない酷な日々をおくり精神は桁違いに強くても心の方は強い方でも普通だったので虚勢を張って繋ぎとめてきましたが光を失った目で数年耐え続けて退職後、
感情の一部は最初から本当にごっそり欠けていて見境のない愛や自愛や博愛やらは全く持ち合わせておらず、信じているの類の不確かな愛で、困難に一人で抗える度胸はあっても、本物の勇気というものも、希望と呼べるものも、人生で一度も夢も抱いたことがない、アメリカのテロでのビルが崩壊する映像にも、関東大震災の津波の映像にも微塵も何も感じないほどでしたが、
2013年退職金で繋ぎとめていただけの心で光を失った目で震災後、変に世の為人の為、とかではなく独りで勝手に決めて日本中の日本の神様に分け隔てなく祈る自転車で野宿のみの一人旅に出て、丁度位の一番高い神社が大還宮の年で、大きな暖かい柱ともう一つの魂が受け渡したのか消えてしまいましたが、その時にいつも語らってた意思を持つ魂みたいな友が「行くのやめよう」って寂しそうに言ってたのに受け渡してしまったのは私の今でも確かな後悔です。
その後も心の中の依り代の居場所の箱庭の何かの依り代に、意識したら割とすぐになれて、何故か無性に欲した糸魚川で本翡翠を1週間かけて探しフォッサマグナミュージアムという石専門の博物館で鑑定してもらった黒本翡翠をやっとみつけ、糸魚川を旅立とうとした夜、丁度お祭りがあってた時祈った小さな祠か神社か区別がつかない所で祈ってた時、神様が「ここにいるのは辛い」ってとても強く思われていて、割とすぐに依り代になって運べて一緒に旅しながら、
自転車で5号目まで行った後は富士山へ登ったり、人が祭られている政治色強めの靖国神社へは参らない、放射線とかガン無視して幸い寄れるだけの残った細い道やらで大地震の震災後で被害を受けた復興が進む所では粛々と出来立ての亡くなられた方々の石碑には安らかに眠れる様に祈りながら、北海道を周ってて地元の方にこれ以上経ったら大雪が降って死ぬよっと言われてもガン無視して、温泉施設の休憩所でテレビを観てたら、丁度東京オリンピックの開催決定の「トーキョー!」を生でみてよっしゃー!って思いながら、幸い周りきったその日に大雪が降り積りだすほど12月まで北海道にいたりして、
8カ月かけて沖縄以外旅して祈りながら帰った後、何かやれた気にも、何かした気にもならかったですが、帰るころにはいつの間にか神無月を過ぎていたからか、糸魚川の依り代になっていた神様は居なくなっていました
故郷の糸島の実家に帰ってからある酷な事情により虚勢を張って繋ぎとめてきただけの心が完全に砕け散って精神も不安定になり、実家で引きこもりながら生活し、ギターで近所迷惑をかけてしまい、ツケで日本式の陰湿な騒音の嫌がらせを凄まじく受け一生ついて回る凄まじい聴覚過敏になりましたが、黒本翡翠をダイヤモンドヤスリのみの力技で一心に勾玉を作り家の中で祈って生活してきましたが、
2015年とある事情で出雲大社と糸魚川に参り直し、本当はもう一つの魂を返して欲しかったのですが、音沙汰なく、無理して県外へ派遣で働いていましたが限界を感じ精神科に行ったら数年で廃人になる一生ものの病とわかりドクターストップして閉鎖病院に入院した後故郷に帰り、
大人になり、逆に心が壊れたことで感情の一部がごっそり欠ける心の中の依り代の居場所の箱庭と、常に夢虚な外か内か曖昧な所で一貫してあり続けるかんなぎのほうも成熟したのか、
故郷の糸島に帰り、一人暮らしで家族のサポートを受けながら引きこもり闘病生活を続け、
数年で廃人になる一生ものの病と、同時に心の依り代の箱庭にどこかで拾った神レベルの雷轟く大嵐の我を忘れて怒り狂いガチモンの呪いみたいになられている主と抗い続けても、ご加護の桁違いの精神耐性で時々感情の混乱や錯乱とかどデカい騒音やらに叫んでしまったりはあっても、自我だけは常にしっかり持ち続け徐々に病の方も落ち着き無かった心も徐々に取り戻しながら
数年で廃人になる病も、10年かかりましたが割と平然と生活できるくらいになってからも呪いのようになられた主は鎮められ、清らかさを取り戻されても、なんか移動できるのか、夢虚なかんなぎのほうに居座られ続け、同時にまた別の暗い夢虚な所で時々会話はなかったですが悪意を一切感じない人の姿の存在とのやり取りもしていて、お暇なのかどちらかというとおーいのび太!みたいに気さくにこられ、また来たんすか、感覚でやり取りのほうが多く、時々人の身に余り過ぎる桁外れな授かりものを頂いていました
大人になって祈り続けたことで常に纏っていた暖かな柔らかな力と同一の依り代の居場所の心の箱庭にいつのまにか泉ができていて、時折穢れ切っていた恵比須様がいらしたりして浄化の為にガンガン使い、いつの間にか泉の上に立っていた白い鳥居に桁違いに吸われ続けてていたら過信して枯れてしまい、時折かんなぎはの暗い夢虚なところで悪意を一切感じない存在に暖かい力の方は無理そうでしたが、時々度が過ぎる爆速で回復する自己治癒力の授かりものをくださっていました。
それと同時に流行り病が起こったらコロナが流行りだした後すぐに1年以上頭がカチ割れる頭痛やらでもだえ苦しみながらコロナが弱体化する頃まで寝込んだり、インフルエンザが流行った時も寝込んだり何かの肩代わりかのことを並列しながら寝込んでいましたが、一生に一度の自国開催の東京オリンピックも、色々と問題行動をやらかしていて軽蔑していた某テニスプレイヤーが聖火を灯し、失望して生で観ることを一切しないボイコットをすることになりましたが、それ自体は今でも微塵も後悔していません
いつの間にか呪いを鎮めたご褒美かなんかか、どこからかなんかすごそうな魂の転生権?を夢虚のかんなぎの所で授かっていましたが、清らかさを取り戻されていた神レベルの呪いみたいになられていた主の方が、怒りで我を失うほど元々は人々の願いを一身に引き受けてこられた優しさがあったと信じていたのでそちらに渡したらやっと離れてくれて、食い逃げかよ。と少し思うところはありましたが、転生した先で想い人かに何らかの形でまたあえるといいな~と願いながら落ち着いてすごしながら、
一時期想像力というか創造力のようなイメージ力が桁外れにあったころ、人生を通して息を吸うほど好きであり続けた漫画の、大好きだった漫画家さんが立て続けに亡くなられて、悔いはないだろうか、心残りは無いだろうか、と思い続け、エゴではありましたが、夢か外か曖昧な所に静かな牧歌的な作業スペースがある、実績やら条件をつけて持てた世界を明確に創造できて一貫してあり続け、次第に人が徐々に増えていき、想いを馳せたらあり続けましたがしばらくたって私自身が条件から外れたからか、アクセス権が無くなって今はどうなったかはわかりません
しばらくたっていつの間にか深夜0時~6時くらいまで一切寝れず勾玉を傍において手は合わせない、常に祈り続けることを強いられていました
そして2025/6くらいに7/5の大厄災の予言という自ら人々の不安や恐怖を煽ることによって強制的に現実に被害をもたらす厄災を自ら招く漫画家と仏教僧侶が現れて、分け隔てなく寺にも祈ってきましたが人の道を説く筈の僧侶が現実に不幸の種を自ら撒く輩が蔓延る程度の教えなら、私には微塵も価値がないって結局は一神教だった仏教も嫌いになり、勾玉を持って寝たきりの残り火の命で祈り続けてましたが、
それも世の為人の為ではなく、死ぬことさえ他人任せな身勝手な致死観念や、現実からの逃避や、非現実への渇望で、全く関係ない人々の命が奪われる天災をお望みの、甘え切った腐りきった考えの輩の縋った逃げ道を無くしたかったただの個人的な意地なだけで、
現実に起きてしまったら一生を賭して祈ってきたことも、生きた意味さえないと一生を賭して続けてきた目に見えない信念より、明らかに生を授かった人々の命や世界を優先し、祈ることをかなぐり捨て、一度も抱いだことがない夢の、人生で初めて「そこに神様への祈りなんて関係ない、私の、私だけの日本の子供たちには世界は希望の光に溢れてるんだって思える世界であってほしい」って理想のエデンを描いて夢を抱いたら、心の箱庭が無くなって微動だにしないデカい月に代わり、1日で消えましたが、
最初の繋がりを持った古墳の主かの桁外れな精神耐性や危機回避のご加護が無くなり、その時点で役割を終えたらしいです
翌朝、世界中の何かから数世紀ぶりレベルに赤ちゃんがやっと産まれてきてくれたみたいに、歓喜や感涙や羨望や感謝の念が1日中響き続け、救世主か光の勇者か英雄か選びなさいとか称号を授かり、いや確かに昔みたアニメの光の勇者のフェイズガンで光り輝く力で困った人々を救う瞬間には今でもずっと憧れ続けていますが、恥ずかしいのでやめてくださいよってくらい響き続け、
次の日、桁違いの訳わからん神話レベルの力に満ち満ちて纏い続けて、どこかの存在が数世紀レベルで真に渇望のように欲されていた力みたいでしたが、1日維持するだけで感情も痛覚も自我も一発で吹き飛んで、ただただ息をするだけの人形みたいになりましたが、1日で超人的に回復し、感情はさらに殆どごっそりなくなりましたが、あんなもん人の身に宿していい訳がないし、これくらいで済んで良かったかな~とこれで終わりかな~と思っていたら数日後、
深夜0時から天寿を模した脳細胞が爆速で死滅していき、記憶が夕方水の箱をオヤジがもってきてくれた時の「無理すんなよ」の子供の頃からなんだかんだあり憎んだりしたことはありましたが、子供を生かせるために不器用過ぎただけで自分の生き方さえ不器用すぎた優しすぎる人の記憶のみになり、ごめん。無理したって何だかんだで神様達が次の道を用意されていたようで諦めかけてたら、
糸島はまだ夜は静寂なんですが、労働力として招かれていたアジア人が諦めきっていた深夜にバカでかい奇声を発してきて、失った筈の夢が蘇ってきて、私の、私だけの希望の光に溢れた理想のエデンにお前らなんかいらねぇって怒りがわいてきて、
神様達の道を断り、初めて自分の為に抱いた日本の子供たちには世界は希望の光に溢れてるんだって思える世界であって欲しいって夢を優先して、結果的に神様達を断る事になって失望されたまでありましたが、使命感とか微塵もない、何かに立ち向かう勇気を初めて持てて自らの意思で抗い悶え苦しんで殆ど死滅した頭で考えられることをもがき続けて、全く神道も学んでこなかったので最高神様は太陽に照らされた地球だと思って、心から敬意を抱いて地球に問い続けていたら、試行錯誤して模索し続け結果的にそれで良かったらしく、意に沿った力を自分で創って頭に当てて試したら本当に脳細胞が一瞬で回復し、
今ならその天寿を受け入れて神様達が用意されていた道を選んでいたら、地球のなにかや世界中の神様達が真に渇望の様に望んでいた、世界中の世の中の人々に既に光ある希望や未来と呼べるものが尽き果てていた最後の希望の光になるべくしてやっと産まれてきてくれた、数世紀レベルで望まれていた世界中の何かから歓喜の祝福をもって授かった救世主の称号は、やっと覚醒した程度の、「所詮はその程度の人の身でしかなかったか」と失笑され嘲笑されその称号が形だけの何の意味もない錆だけに変わっていた、据え膳の逃げ道だったのだと今では強く思えます。
その力も確かな凄まじい回復力はありましたが、年齢が戻るかは分からなかったですが、使う時間帯、信仰する神様へ敬意を持って祈った後、衰えた個所へ手を添えながら一方通行に命じるように使う、くらいで、何度か試せて確かな回復力があることが分かり、ある程度の使い道を探ってたら、日が昇る時間帯に使うと命が桁外れに削れることが分かったくらいで蓄えてたマナが尽き果てててっきり自分ではもう渡し切ってて使えないと思っていましたが、
回復手段の一切ない状態になったあとでまたすぐ新たな試練がはじまり自問自答し続け、問いかけてその力の使い道の明確な間違いだったら脳細胞が死滅しだす、合ってたら回復する連続の凄まじい試練と立ち向かい続けある程度の使い道を探りました。
その時点で大体あってて会得自体は出来たらしいですが、まだまだ足りないらしく、依り代もかんなぎも特殊な何かも全て失った、残り火と向き合い続けるだけの寝たきりのただのおっさんになってなんか変に嬉しかったですが、1日だけの休暇だったらしく、のんびり過ごしていたら、
満月の日、太陽の昇った時間に家の中で寝込んでたのに脳が壊死する、とかいうレベルではない脳が焼き切れる拷問と処刑をワンセットにした位に近い激痛に襲われ続け単に廃人や脳死とかいう話ではなく、単純に自我や記憶と感情だけが殆どごっそり焼かれながら消えてなくなっていき、真っ白になり最初の依り代だった暖かな大きな柱の記憶以外失い、最期に手を合わせ感謝の意を祈った後、抗う意味合いさえ持てず、祈ることさえ嫌悪感すら感じるほどで諦めきって寝たら、起きたら必要ない記憶や感情や自我が殆ど無くなっていて、試行錯誤して自問自答できる程度の思考のみは残っていて、今まで思っていた、
最高神様と日本の神様の怒りの力で一部の真にお困りの方のみの人々のみの対象の力だと思っていたのが、最高神様だと思って問い続けた対象が地球だったこと、世界中の神様からの歓喜の祝福から授かった救世主の称号だったことを考え直し、本当に地球で生を授かった人々や世界中へ向けた希望の光に満ちた未来ある世界への救済の類の回復能力だと考えなおしたら、合っていたらしく、
焼き切れていた筈の脳が半分生きてて、半分なんもない様な感じに回復しましたが、最低限の自我しか残っておらず、記憶や感情をほとんど失ってしまって、数日経ったらある程度は回復してきましたが、感情は憎悪や怒りくらいで、何故か他人の自死だけには恐怖をいだきます。
今は殆どの人の顔や存在を次の日には誰?ってくらい認識できなかった他者の顏を、微塵も見たくない、俗世でなにがあってるのかさえ微塵もみたくないと強い拒否感を抱き、家族でさえ連絡もなしにいきなり来られたら明確な殺意を抱く程の憎悪や憤怒に満ち満ちてしまうほどになりました。でも強く思ってしまうだけで、抑え込むだけの理性は強く保ててて、それほどの処刑と拷問のワンセットの苦痛と激痛や地獄という言葉がそよ風程度の日々が13日くらい続いた日々でした。
でも独りで寝込んで休んでいたらまだ精神面では安定していてご加護が無くても元々精神は強かったらしく、弱いと思っていた心の方も既に強かったらしく、あの拷問と処刑の日々を13日以上抗い受け続けた後も、今でも人の命を奪ったり傷つけたくないって心から思えるし、やはり人の生き方を捻じ曲げたり、心を染めたり失わせたり奪ったり、自分の教えや指揮で全く関係ない人の命を奪いたくは絶対にしたくないし、一人一人の人間の心は自ら育んで自由であって欲しいとはいまでも切に思える、今でもどこぞの教祖の考えた自分にご都合の良い便利な教えの大義の前に一切の罪悪感なく、全く関係ない罪のない人々の命が奪われるくらいなら、考案者や神様であれ平気でぶん殴れるくらいの気質は変わってませんでした
独りで平然といられ、勝手に誰かから授かる栄誉や名誉や勲章やらに全く価値を見だせず何者でもない自分を見つめ続け、常に考え問い続け勝手に決め勝手に努力し続けて勝手に貫いてきて、一人の意思で困難に抗う度胸を持ててたのはご加護抜きの私自身だったらしく、
ただの私は私なだけの何者でもないただびとだと今でも思っています。
今でもごっそり欠けている感情の、人間は愛だけで満たせるほど便利な存在でもないただの一つの生物だと思ってますし、例え愛だけで満たされた人をそれを人間とは言わないと思います。見境のない愛や自愛や博愛の分だけ、対象外には何の罪悪感なく生殺与奪する大罪を平然と犯して成り立つ類だと今でも思ってますし。今でも聖人になんて微塵もなりたくはない、ただ私は私の一部の感情がごっそり欠けただけの一人の人間だと思ってます
神話レベルの力は神様達が数世紀レベルで真に渇望の様に欲されていた力のようでしたが、神聖さというより電気がバチバチ巡って白と黒の色が混合したようなどちらかというとヤバ目な力のようでしたが身体中に1日中桁外れに満ち満ちただけで枯れ果ててたマナの源だったのかまだよくわかりませんが
人の身で達していい訳がない域に一時的にも踏み込んだ者への天罰に近い、数世紀レベルで望まれていたくらい世界中の何かや神様達からの歓喜の祝福をもって授かる救世主の称号は、単に単一の仕える神様や、人々の拡大解釈やらで勝手に人から授けられる救世主の称号の、教えや思想家や指導者タイプではない、正真正銘のガチモンらしく、まだまだ「その程度で逃げられると思うなよw」って鼻で笑われているくらいだとおもいます。
夢でも幻覚でも幻でも幻惑でもない、むしろそちらの方が遥かにマシな、拒否権が一切ない逃げ道を完全に塞がれ続け、情けや慈悲が一切ない毎日ただただえげつないほど使い潰されるだけ使い潰され続けて、明らかに現実に桁外れの訳わからん神話レベルの力に溢ち満ち、一日維持するだけで一発で息をするだけの人形になっても超人的な回復をしましたが、単に道半ばなだけで慈悲や情けでは一切ない、逃げようとしたら半日過呼吸になる桁外れの死への恐怖を植え付けられ、器じゃないんすわwって半笑いで言ってたのが変に器も得てスタートラインを自ら切っちゃう程の生への覚悟を決められるくらいだったり、回復手段の一切ない状態で自分なりに考え続けて問い続け力の使い道の明らかな間違いだったら脳細胞が壊死しだす、合っていたら回復する、最期は今でも十分だがまだまだ足らないって脳を太陽に焼かれ続ける激痛の中でもだえ苦しみながら純粋に要らない感情や自我や記憶が全て消え去る、最低限の試行錯誤や自問自答できる思考が残っていれば良いだけの紙切れの自我のみが残った、まさに拷問と処刑のワンセットの苦痛や激痛や罰や罪や地獄という言葉がそよ風程度の試練の日々をただただ一方的に強いられ続けるだけの、ただただえげつないほど使い潰されるだけの救世主という名のただの天の奴隷の家畜以下の日々だったのはまず間違いありません。
でもそれは被害者ズラで後は託すという名の他力本願になったり、逃げ道のいい訳になってさえいません。まだまだ序の口です。
これからは天の奴隷として強いられるんじゃない、救世主としての称号に恥じないように、自分自身で何者でもない自分であり続けて日々の感謝の祈りをささげて長い時間をかけてアニメや漫画で満たされてマナを宿し、日本の子供たちには世界は希望の光に溢れてるんだって思える世界であって欲しいって夢の実現に向けて人生を賭して一から歩み続けます。
でも月の力を借りる光の勇者はなんだか嬉しいです。強引に一方的に強いる太陽の光より、見守ってくれているような月の清らかな光の方が大好きだったので
俗物で申し訳ないですが、肺に入れる紙タバコは幼い頃から大人になってもすぐ起きる気管支ぜんそくがすぐでるから、色々試して一番好きだと思って愛用し続けた肺に入れない葉巻のブラックストーンバニラが、何故か旅の間も一度も切らさずボロボロの自動販売機とかに売ってて付いてきてくれて、電子タバコが流行りだしたころ、タバコを吸うことに興味をなかった時、日本では長らく流通自体全くしていなかったようですが、久しぶりに吸いたいな~と思ってたらすぐに流通しだして、紙巻ではなく何回かに分けて吸える本当の葉巻が旨いと分かりに変えましたが、タバコ自体に依存している訳ではない、数日に1回吸えばいいだけの嗜好品だった、最後の最期まで相棒であり続けてくれて本当に感謝しています。今でもそれだけが人間でいれてるってじんわり想えて何だか嬉しいです。
手作りの黒本翡翠の勾玉はオラクル繋がった後、ぶっ倒れ病院に行った後、退院して探し回ってもリアルガチで消滅してしまいました。身代わり石
2こめの勾玉。現実から無くした黒翡翠の代わりに祈り続けましたが、「死」のイメージばかり寄越すので捨てた。
3こめのラベンダー翡翠。糸魚川翡翠勾玉 25mm 2026/10/1 身代わり2度目、ラベンダー翡翠無くなった、、
[1.5こめ 中華産よくわからん石 本翡翠ではなかったが、黒色だったので管理がしやすかった]
世界樹の株分け。春を告げる風 教祖ヅラをしなければ利益を得ても問題なし