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ビックの部屋

5分読み切りの短編小説
甘酸っぱい恋の4コマ漫画
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カチリ、とタイムマシンのダイヤルを「西暦1732年(享保17年)」に合わせる。


男の名はビック。歴史の教科書に輝く偉人たちの、教科書には絶対に載せられない「ドロドロの裏の顔」を暴くのが生きがいのタイムトラベラーだ。


​今回の目的地は、江戸城の中枢。


お題は、「暴れん坊将軍」としてお馴染みであり、質素倹約を奨励する「享保の改革」を推し進めた江戸幕府第8代将軍、徳川吉宗(とくがわよしむね)である。


​「武芸を重んじ、木綿の着物を着て自ら率先して節約に努めたという質実剛健な名君……。さぞや威厳に満ち、厳しい顔つきで政務を執っているんだろうな」


​ビック氏は、厳重な警備が敷かれた江戸城の大奥……ではなく、吉宗のプライベートな執務室へと忍び込んだ。未来のステルス迷彩スーツの前では、凄腕の御庭番(おにわばん)の目すら誤魔化せる。


​「あーーーーっ! 違う! なぜ今日の堂島米会所の終値は、前日比でこんなに下落するんじゃ! 昨夜の社会情勢をもとに完璧に変動を予測したはずなのに!」


​部屋の奥から聞こえてきたのは、名君の威厳とは程遠い、胃を痛めた悲鳴だった。


ビック氏が覗き込むと、そこには質素な着物を羽織った吉宗が、巨大な和紙に描かれた米価のグラフ(ローソク足チャート)に齧り付き、頭を抱えて畳を転げ回っていた。


​「くそっ、大坂の商人どもめ、また空売りを仕掛けてきおったな! こうなったら幕府の公金で買い支えて……いや、それだとまたインフレが……あああっ!」


​彼こそが徳川吉宗。


イメージしていた質実剛健な武士の鑑とは程遠い、完全なる「日々の相場変動と社会情勢の予測に脳を焼かれた、ガチのデイトレーダー」の姿がそこにあった。


​「あ、あの……上様?」


ビック氏が思わず声をかけると、吉宗はビクゥッ! と飛び上がり、近くにあった木刀を慌てて構えた。


​「だ、誰じゃお前は! 刺客か!? それとも俺の建玉(ポジション)を強制ロスカットしにきた勘定奉行か!?」


​「怪しい者じゃありません。未来から来たビックと言います。あの……『米将軍』と呼ばれるほど経済に明るい名君が、まさか裏でそんなに相場のチャートに一喜一憂していたとは……」


​ビック氏が恐る恐る尋ねると、吉宗はフゥーっと木刀を下ろし、ドサリと座布団に倒れ込んだ。


​「未来の者か……。いいか、誰にも言うなよ。世間は俺を『米将軍』と持ち上げるがな、最初は民を救うために米の価格を安定させようと市場を監視していただけなんだ。だが、毎日毎日、堂島の相場と社会情勢を照らし合わせて終値を予測しているうちに、完全に相場のヒリヒリ感に依存してしまったんじゃ!」


​なんと、名君の正体は、市場予測にどっぷりハマってしまった相場中毒者だった。


​「それにあの有名な『質素倹約』の令もよ!」吉宗は和紙のチャートをくしゃくしゃに丸めた。「俺が相場の読みを外して幕府の金を溶かしまくったから、その穴埋めのために『贅沢は敵だ! 木綿を着ろ!』って、全国民に無理やり節約を強要してるだけなんじゃよ! 本当は俺だって、毎日贅沢なスイーツをドカ食いしたいわ!」


​そこへ、部屋の襖の向こうから声がした。蘭学者の青木昆陽(あおきこんよう)である。


「上様、お命じになられていた救荒作物『サツマイモ』の試作品が焼き上がりましたぞ」


​「おお、来たか!」


吉宗は目を輝かせて、昆陽が差し出した小さな焼き芋を口に放り込んだ。しかし次の瞬間、激しくむせ返った。


​「ゲホッ、ゴホッ! パサパサじゃ! 水分を全部持っていかれるわ! 昆陽、俺が求めているのはな、もっと巨大な2Lサイズで、それをオーブンでじっくり焼き上げることで引き出される、極上の『ねっとり食感』の芋なんじゃ! こんなパサパサの芋で、相場で疲れた俺の心が癒やされるか!」


​江戸時代の品種と焼き方では、吉宗が夢見るスイーツのような焼き芋には到底届かなかったのだ。


​ビック氏は、相場予測のストレスと理想の焼き芋への執念に深く同情し、ポケットから未来のアイテムを取り出した。


「よし、これを使ってください。未来の品種『熟成紅はるか(2Lサイズ)』と、極上のねっとり食感を引き出す『未来の全自動・高温オーブン』です」


​「な、何じゃこの巨大な芋は!? しかも、この鉄の箱に入れるだけで良いのか……?」


​数十分後。


オーブンから取り出された巨大な紅はるかは、皮の表面から黄金色の蜜を溢れさせ、甘く芳醇な香りを部屋中に充満させていた。


吉宗がそれを半分に割ると、まるでクリームのようにねっとりとした黄金色の果肉が顔を出した。


​「……!!! な、なんじゃこの狂気的な甘さは! 舌にまとわりつく極上のねっとり食感……! 相場のストレスが一瞬で吹き飛んでいく……!」


​吉宗の目が、かつての「暴れん坊」の輝きを取り戻してギラリと光った。


​「ビックとやら、大儀であった! 俺はもう、相場の前日比変動なんてチマチマ予測するのはやめじゃ! これからは、この『2Lサイズの紅はるか』を幕府の総力を挙げて全国に普及させることに全振りするぞ!」


​嬉々としてねっとり焼き芋を頬張る吉宗を最後に、ビック氏は現代へと帰還した。


​後に残された江戸時代では、吉宗が相場予測から手を引き、異常なまでの情熱でサツマイモの栽培を推進。結果として享保の大飢饉は救われ、彼は「中興の祖」として歴史に確固たる地位を築いた。


​後世の歴史家は「吉宗公はなぜあそこまでサツマイモに執着したのか」と首をかしげているが、その裏には、未来から届いた「極上のねっとり食感」の虜になったデイトレーダー将軍の真実があったのである。