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一人っ子政策と格差

一人っ子政策の中国ですが、抜け道は色々あるようです。


まず農村部は免除されているらしい。

まあ、登録自体が曖昧という事もありますが、二人目以降がいても認められるようです。

農村部の不満を緩和するという意味もあるらしい。

確かに、貧しい農村にあっては子供も貴重な労力です。
何人かいる子供の中で出来の良い一人が家をついで面倒を見てくれるならそれでよい、という事でしょう。

それはそれなりに納得できる部分です。


もう一つの方法は、お金を払う。

公的にお金を払えば、二人目が認められるらしい。

大体上場企業社員の年収相当分くらいとの事でした。

日本で言えば500万円位に相当する額でしょうか。
これを結構な額と見るか、その程度と見るかはわかれると思いますが、色々な抜け道があって、その一つの大きな道はお金だ、というところには中国らしさを感じます。


中国の格差は全体の収入の9割を上位1割りの人が得ている、といわれる事からも分かるように、日本国内の格差よりも顕著です。

格差というのは、労働市場の国際化によって引き起こされている事は間違いない。
どの国でも地方農村と都市部の一部企業に勤める人との間で格差は起こっている。
日本で言えば、秋田と東京を思い浮かべても良い。夕張市と渋谷区を比較しても良い。
その格差は一人っ子政策を取る中国でも起こっていて、それは子供の扱いに関しても大きな影響を及ぼしているという事です。

かたや貧困故に労力と老後の生活の担保として子供が欲しい。
一方都市部住民は、家族として、愛情を注ぐ対称としての子供を求め、お金を払う。

その額を苦とも思わない人達がいて、それは少数派ではあっても相当の収入を得て経済活動を行っている人達であろうと想像出来る。


昨年は格差社会が話題になりました。

話題にはなりましたが、何をどう対策して良いかは分からずに騒いでいるだけ、と言う面があった。

しかし、格差がグローバルな問題であるとした時、中国の地方農村の人達がどういう可能性に光を見出す事が出来るのか、まったく見えない疑問です。
子供を生む事一つを取っても、その目的を取っても、大きな格差が生じている。


日本の格差問題も大事です。

大事ですが、その原因が日本国内ではなく労働力のグローバル化にあるならば、世界的に見て所得の低い層をどうボトムアップしていくのか、その点を考える必要があるし、それを解決する事が、日本国内の格差社会も解決する入り口になると思う。


その一つのきっかけは、まずは男女の格差をなくす事ではないのかと思うのです。
中国に来て改めて思いますが、女性のバイタリティーは凄いですよ。

日本では男でもやらないような力仕事を、こちらは女性だけで部署が構成されてこなしている。

しかも事務方の主要ポジションにも、管理職は少ないですが、所々に女性がいる。
それぞれに活き活きしていますし、それが力にもなっている。

当然彼女達はそれなりの収入を得ていますし、それなりの生活をしている。
こういうパワーを活用する事が、格差問題をより小さくする入り口のように思います。
実際、GEM(ジェンダーエンパワメント指数、女性の活用の割合を示す指数)が高いと、一人当たりGDPが高かったり人間らしい生活指数が高かったりしている。
つまり、量が多いところは質も良いという事です。

その視点からも、もっと女性が社会の中で活躍できる環境を整える事が、社会の豊かさがボトムアップされて格差が小さくなる一つの手段であると思う。


もう一つは、進化論や適者生存説に基づいた経済論、国家体制というのは、どこかで限界が来るのではないか、という事です。
無用の用ということもある。

シーラカンスのように、肉の味がまずいから捕獲されずに永年生き残ってきた種もいる。
発展と成長だけを追い求める今の経済活動というのは、どこか壁にぶつかっている。
所詮人間は人間です、ITのように使い手の勝手に便利に成っていく機械のような存在ではない。
そのような人間が経済活動を行っている、行っていく、そういう前提に基づいた経済学や経済理論が無く、したがってそれに基づいた経済予測や経済活動を行っていないのが現状です。


人間の活動である、経済や社会がその前提に立った活動を始め事が必要で、それは適者生存からは外れ、逆に振れる可能性もありますが、そこに多くの経済行動がある以上、弱者のボトムアップに繋がるのではないか、と考えるのです。