モノ化 | ZERO.blog

モノ化

今週末読んだのはこの本です。


岡本 裕一朗
モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類

人がモノ化すると言うテーマですが、実際には人を取り巻くすべてがモノ化することが指摘されている。
印象的なのは、職業がモノ化されているという指摘です。以前は特に日本で、士農工商のように職業も固定化されていた。世界の中にはまだそのような国、実質的にそのような国もある。
職業がモノ化することによって人は転職するようになったと著者は記します。


確かに、無機質な物を象徴するならばその通りでしょう。そして、その他の物の消費と同じように、職業はその人のポジションを示します。
具体的には、ブランド物を持っている人はそれがその人の生活のステイタスを意味するでしょう。ステータスとは、つまり収入です。
では職業のステータスとは何でしょうか。厳密には能力ですが、それを身につけるという意味では環境、そして教育であると思います。
物のステータスによる格差は収入の差によって生まれ、収入の差は職業によって生まれ、職業の差は教育によって生まれ、教育の差は家系によって生まれる。
そしてついにはDAのモノ化が始まり、生まれる前に子供の特性を決めていく親とそれが出来ない貧しい親に別れていく。


究極的にあらゆる物の流動性が高まると同時に、格差は広がっていく、と言う事です。

この本はこれから更にどのような物事のモノ化が進むかを指摘し、その先にある問題点を指摘しますが、あまり悲観的にはなっていなくて、むしろその先にしかない可能性もあると説きます。

そうなのですが、同時に格差のような問題をどう取り扱うか、新しい問題をどう予防するかと言う点について解決策やその指針を示してはいない。

物事が進んでいく時に課題が発生するのは当然ですし、そこで止まってはいけないのですが、それぞれの時代にその時は踏み越えてはいけない一線と言うのもあるのではないか、と思います。
一直線の進化論、一直線の成長主義、一直線の物事の進み方に、何か違う方向があるのではないかと考えてしまうのです。
と言うのも、人に要求される能力と言うのも常に変化していくのではないか、と思えるからです。


生存選択説から行けば、主流派が生き残り続けるはずです。しかし、背が高い方が好いという人もいれば、小さい方が好い、と言う趣向の人もいる。どちらもいなければ困るでしょう。
勉強が出来てスポーツも出来てルックスもよくて背が高い、確かに一般的に良いといわれる特性の組み合わせですが、それがパッケージとして本当に良いかは別問題です。


でも時代は常に右に左にと波を描いている。そして突然変異的に現れる新しい魅力に翻弄される。
そしてその選択肢が無くなる事が、何よりの危機だと思うのです。