仮想の多層化 | ZERO.blog

仮想の多層化

「役名でCDデビュー♪ 仮想と現実の世界使い分け」
昨日かな、産経新聞の記事 です。
「沢尻エリカや長澤まさみらテレビドラマや映画の主演俳優らが主題歌や劇中歌を
歌い、その役名でCDを発売する試みが目立っている。」
確かに最近増えているなとは思っていたのです。
バンドだったら、解散と新バンド結成、またはソロや再結成と色々出来ますが、個人は芸名変えるのも厳しいし、イメチェンが難しいですよね。
役柄を個人と見立てて売るのは以前からある手法ですが、変化の早い現代にはよりあった手法なのかな、とも思います。
それも結構似合っていて、修二と彰とかRUIとか、NANAの中島美嘉なんて、役なのか歌手なのか分からないくらいで。


「作り手や送り手が仮想と現実の世界を巧みに使い分けて」楽しんでいると言う指摘があったが、あれ、そもそも役者や歌手って、それ自体が仮想なのではないのか、なのに、役者と役が仮想と現実って、混乱してないか、と思うのは私だけではないと思います。
そうだとすると、仮想が多層化している、と言えるかもしれない。
仮想の中にも、表層的、深層的な仮想があって、役者や歌手は表層的仮想存在、その役柄は深層的仮想存在、と考え、従来仮想的と考えられていたものが深層的仮想にシフトしたとすると、ちょっとすっきりするのではないでしょうか。
それは一部現実の仮想化でもあります。
役だけではなく、例えば萌え系がそうですが、本来いないはずのメイドさんが実在していて、仮想的な現実があります。
役者や歌手は実在していますが、それはイメージやメディア戦略などを通した、メディアの向こうの存在であって、それは生でライブに行っても舞台を見ても基本的には同じです。
この点では、現実が仮想化しています。


だから私から見ると、役者が役名で歌うとなると、仮想が仮想化しているので、ちょっと混乱するのです。
逆に言うと、この類のヒットがコンスタントに出たと言うことは、それに混乱しない人が増えていると言うことです。
よく言うゲームやネットによって仮想に慣れてきた人が多い、と言うこともあるでしょう。


もう一点指摘絵出来ることは、多層化が受け入れられるには、それを個別に認識する能力が必要だ、と言う点です。


ここが私のもう一点の疑問で、私にはNANAは中島美嘉にしか見えないし、星泉は長沢まさみなのです。
これは見た瞬間に、切っても切れないのです。
個別に売れると言うことは、そこを個別に認識できてしまう能力があると言うことで、仮想の現実化と共に、存在の個別化、もっと言えば認識の分断が起こっているように思えます。
それは学校での存在、家庭の存在、社会的存在といった個人が持っているいくつか
の顔を、皆それぞれに認識していたが、その場に合わない、自分が知らないその人
の面は見たくないよ、と、より強く主張し始めたとも受け止められます。
以前その類の主張は、少なくとも公衆の面前ではエゴと称され、諭されたものです。
それが今は、公にも無くなって来ているのでしょう。


良し悪しは分かりません。
でも、一つの事を、一人の人を、事細かに分けて都合良い面だけを解釈するのではなく、全体を把握する事も、受け入れることも、それを楽しむ能力も、必要だと思うのです。

まあ、本来役者や歌手と言うのは、そういうストレスから逃れたい人達に、フッと生き抜きと楽しみを与える人達なのでしょうから、あまり難しく考える必要は無いのかもしれませんが。