著者 栗原祐司・森 真佐子
1節 現地での暮らし
サンフランシスコ補習授業校を卒業したある帰国生の話です。
『日本語じゃない言語で授業を受けるというのは、肉体的にもすごく疲れるんです。今思うと、精神的に疲れていたなと思うのは、私は現地校から3時に帰って昼寝をするのが日課だったんです。でも、日本に帰ってきてからそんなことしなくても全然、もう1日もつという感じなんです。それはやはり、母国語じゃない言葉で授業を受けるというのは、精神的にも体力的にも重かったんじゃないかと思います。』
なるほど、なるほど



『現地校に入って、まず誰もが最初にぶちあたるのが言葉の壁でしょう。自分の感情を言葉でぶつけることもできなければ、相手のしゃべっていることもわからないような状況は、堪えがたいストレスとなります。意思疎通がうまくできないために、あたかも手足をもがれたような気持ちになり、敗北感を強く感じる子どももいます。それでもまだ、楽観的な性格であったり、周囲の適切なサポートがあれば、やがて徐々に言葉も覚え、生活にも慣れていきますが、悲観的になって自分の殻に閉じこもってしまったり、自分は言葉も満足に話せない愚か者だ、と自信喪失に陥ってしまうと、そこから抜け出すのは容易ではなくなってしまいます。』
なるほど~なるほど




『母親はもうとっくに現地校になじんでいるだろうと思っていたのに、子どもに聞いてみたところ、「英語もアメリカ人も現地校もみんな嫌い」と本音を言われ、ショックを受けたというような話も聞きました。親の都合で海外に連れてこられた子どもたちは、必死で親の期待に応えようとがんばり続け、強いストレスのなかを誰にも言わずに耐えていたのです。』
これもまさにそう



『日本で優秀な子どもだったから、現地校でもすぐに言葉を覚えて適応するだろう、と考えるのは早計で、日本では常にトップクラスであったのに、言葉がわからないために現地校では落ちこぼれのようになり、かえって優秀であったことが仇となって自尊心やプライドが傷つけられたり、自信喪失につながってしまう場合もあるのです。その結果、子どもは教室に自分の居場所を見つけられない「お客様」のような存在になり、授業中のわからない外国語を聞き続け、じっと帰国の日がくるのを待ち続ける、というようなケースは枚挙にいとまがありません』
うわ~そうそう




上の子もやっと英語に自信がついてきて「あのね、私が最初英語が出来なかった事、新しいクラスでは知らない子もいるんだよ





『よく帰国子女の体験談などを聞くと、バイリンガルになった一部の成功例だけが1人歩きしているような気がしますが、実際にはすべてが優秀で成功した子どもばかりではありません。むしろ、非常に厳しい環境のなかでたいへんな努力をしている子どものほうが多いのですが、このことはあまり日本には伝わりませんね』
そうですね





セミリンガル『親としては、自分の子どものアイデンティティをどうしたいのかということを明確にしておく必要があります。つまり、日本人として育てたいのか、現地の国の人として育てたいのか、それとも両方のアイデンティティをあわせもったバイカルチュラルな人として育てたいのか、という事です。親がいたづらにバイリンガルに憧れて、なんのケアをしないで子どもを現地校に入れてしまうと、日本語でも他の言葉でも自分の意思や気持ちを十分に語ることができない、いわゆるセミリンガルな日本人になってしまう危険性があります。言葉も、思考も、アイデンティティもすべてが崩れ、帰属意識もなくただ宇宙をさまようような人間になりかねません』。
難しいですね



【5~6歳以前にアメリカに来た場合】
ほぼ3年後の小学校3年ごろまでには日本語よりも英語の方が達者になっている。補修授業校で日本語を勉強し続けても、英語の方が日本語より強い言語になっていく可能性も十分ある。もしアメリカに来た時点で日本語の学習をやめてしまったら、たとえ維持できたとしても5~6歳レベルの日本語力しかないという事になってしまう。
【7~8歳頃にアメリカに来た場合】
3年くらいたつと英語が日本語と同じようなレベルまで追いつき、その後だんだん英語力が日本語力を上回っていく。日本語力がある程度ついてから渡米しているので、それ以前で渡米した子供たちよりも 日本語力、英語力の差は小さい。
【8~11歳頃にアメリカに来た場合】
それ以前に来た子供たちよりも多少英語の習得に時間がかかる。ほぼ4年後までには英語力、日本語力が同じようなレベルになる。日本語力も7~8歳でアメリカに来た子供たちよりもさらに維持ができる。
下の子は1年生の2学期いっぱい、上の子は3年生の2学期いっぱい日本で過ごしていたし



ふだんは標準語を話していても、興奮して自分の気持ちが昂ってくるとつい方言が出てしまう、あるいは方言のほうが自分の気持ちをすっきり表現できる、という経験をされた方は多いと思います。そうした感情の発言ができる言葉をもっていないと、情緒が不安定になりかねません。大事なのは、こどもが自分の意思や気持ちを他人に伝える言葉をもっているかどうか、ということでしょう。一般的には、3~5年程度の滞在期間で、日本語も他の言葉も適切に使えるバイリンガルに育てるのは死なんのわざといわれています。とくに、日本語の基礎が形成されていない低学年の時期に異なる言語のなかにトビオムと、どちらも身に付かないセミリンガルになってしまう危険性が高いと考えられます。子どもが能力に優れていれば、子どもの成長に過酷な環境があっても、何とかクリアし、立派な人間に育つ、日本ではこのような楽観的な思い込みにとらわれる人が多く、海外に行く子どもはすべてが優秀な子どもで、きっと世界をまたにかけて活躍するようになるのだろうと想像してしまいがちです。しかし実際は、その子にとっては異文化に囲まれた外国での生活は非常に厳しい環境であり、そのなかでいっぱしの人間になるにはたいへんな努力を要するのです。』
下の子は低学年の時期に来ているので、不安要素も大きいです。すでに日本語で日本の教科書を使った国語や算数、漢字の勉強より、英語で現地校の勉強の方が入りやすく、取り組みやすくなっている感じがします。私が英語が流暢ではないため、下の子が日本語より英語が強くなった場合。悩みや気持ちを英語で私に伝えてきたとしても 細かいニュアンスが私に上手く伝わるかどうか、また日本語で私がそれを伝えた時に 下の子にきちんと伝わるかどうか・・・英語が強くなっている場合思春期などになってから「あ~もう良いや、お母さんに英語じゃ伝わらない、日本語じゃ伝えられない」と母子の関係が崩れる場合もあるそうです。まあそれは子どもに日本語を頑張らせるだけじゃなく、私も英語を頑張らないといけないですね

私はハワイに永住としても 35年も日本で暮らしていますから。この後何十年とハワイで暮らしても私がアメリカ人化する事はおそらく言語以外でもないように思います。でも子どもたちは「日本で生まれたけどハワイで育ったアメリカ人」となるのが自然かも知れませんね。それはそれで子どもたちには過ごしやすい、生きやすいのだと思いますが。故郷は日本、日本には素敵なお友達も親戚もいる
