自分の本能を信じれば行くべき場所にたどり着く | 魂の喜びを、そして自然のリズムを感じたいyogiの日記

魂の喜びを、そして自然のリズムを感じたいyogiの日記

名古屋市にてヨーガを伝え、そしてセラピストとして活動をしています。
魂の喜びを感じている毎日の生活、思うことを綴っていきます。

私はここ数年、興味のないことはしてないです。
アドバイスやおすすめも、乗り気がなければやらないです。


これは自分の視野を狭くしているのだろうか…と思ったこともあるけど、実はそうではないという確信を得ました。


というのは、いろんな本、動画に触れる中で「私達は自分の意思の選択してるようにみえて実はそう選択すると決まっていた」みたいなことを結構聞いたり読んだりします。
これは最近読んだ「神様とのおしゃべり(さとうみつろう著)」にも書いてありました。


「なにを言うか、何を選択するか決まっている」と。もちろんもっと深い話にはなっていきます。だってこのままだと「私達の人生に自由な選択はないの?」ということになってしまう。なので先の話はあるんだけどね。ご安心をニコニコ

まぁ最近これについて本当にそうなんだろうな、と思うようになってきました。

それは私が今、肉体のように目に見えるものだけではなく、感情などの心、霊魂などまで興味をもって学んでいることは本当に必然なことなんだと感じているからです。

ヨガのスクールに行って学び始めたとき。私がヨガで一番最初に切り捨てたのは「チャクラ」と「哲学」でした。怪しく感じてね。宗教っぽくて嫌だったあせる今では宗教が嫌、とかいう考えはないんだけどその時はそうだったの。

それなのに今、目に見えないものにも向き合っている。なんならそちらのほうこそ重要で、きちんと知っていないと目に見えるものとのバランスが取れないのではないかとさえ思っている。原因がわからない不調ってそこが原因だったりしますからね。



そしてもう一つ。



私、日本の歴史に全く興味なくて。世界史派だし神社とかも別に興味なしでした。
今のパートナーと出会うまでお参り自体が面倒だとか思ってたし、日本語もそんなに好きじゃなかった。
でも今となっては日本にとても興味をもって接していて、伊勢神宮大好きだし、日本神話も縄文時代も大好き。そして日本語の素晴らしさに気づいた。

これって結局は、自分がどう選択しようが、決まった場所に、そのルートを歩くことになるのではないかと思ったんです。


つまり、私は、伝統的なヨーガにいつかたどり着き、からだを三位一体(肉体・心・霊魂)に知るようになる。そして今ではインドの歴史からインスピレーションを得て、日本の素晴らしさに気づくことは決まっていた。


これって私が選択してきたんだけど、やっぱり導かれてきたようにも感じるんですよね。これをとても強く感じるのは何故か。それはやっぱり一度


「やりたくない。興味がなかった」


という思いがあったからだと思う。


あんなに興味がなかったからこそ、その落差なのか日本語や日本人、伝統的ヨーガの素晴らしさに大きな感動さえ覚えるし、結局は私はここに来るんだったと確信するわけです。

既に決まってた。それには一度「興味ない」というのも必要だったんだろうな。
結局はそこに戻ってきた!


自分のことなのに(笑)
自分がどこに行くのか楽しみですニコニコ