制感(プラティヤーハーラ)をするために | 魂の喜びを、そして自然のリズムを感じたいyogiの日記

魂の喜びを、そして自然のリズムを感じたいyogiの日記

名古屋市にてヨーガを伝え、そしてセラピストとして活動をしています。
魂の喜びを感じている毎日の生活、思うことを綴っていきます。

自分の誕生日に買った本じゃない本を読み始めた私。

タイトルは「中村天風伝Ⅱヨーガに生きる」



この本は実は2回目です。

もう一度読もうと思った理由。


それは今、心が肉体に引きずられているからです。

どういうことか?(笑)



私、ここずっと右側の顔面が痙攣するんですよ。
片側顔面痙攣でいいのか。麻痺ではなく、痙攣。
ほんの少しだったんだけど、3週間前くらいからかな。
なんか痙攣が急に強くなったんですよね。
なぜ強くなったのかえー


このなぜ?の推察は今度書くとして、とにかく気になるんですよ。
すっごく気になる。今まで以上に。
だって顔なのでね、話すときや笑うときだけでなく、まばたきするだけでも引っ張られるのですっごく気になる。

気になるのは当たり前なんですよね。顔だから特に。
鏡でも移るし、顔の筋肉は常に動くとこだしね。真顔ではない限り意識がそこに行きます。
これがすっごい嫌でガーン



まず他のことに集中しづらいんです。要するに今私がテーマとしている中今(今を全力に生きる)ができない。ゾーンに入った状態になれません。
そして人の顔がまともに見づらい。笑顔をみせたくても笑いづらいし。
人との会話にも集中できません。

このときにいろんな感情が起こるはずなんですが、今までの私は痙攣が強くなるまでは冷静でした。
でも強くなるともうあんまり冷静ではなく、不安…かな、最初は。
ただそのうちには怒り狂うみたいなね(笑)


調べると「10万人に1人」とか書いてあったんだけど、
「なんで私なのーー!ムキー」みたいなちょっと荒くれた心になって神様に向かって暴言を吐くみたいな。

まぁすぐに怒りは収まって、すぐに治すために調べにかかったりするんだけど精神的にはやっぱり以前よりは冷静ではない。


ここで私は思った。


精神性の修行ができると。

ヨーガで言う心をコントロールするプラティヤーハーラというのがあります。これについて天風先生の本にわかりやすく書いてあったのを思い出したの。


肉体、精神、霊魂でしょ?


このバランスが大事であり、整っているとこの3つがピタっと合う感覚がある。三位一体。私はこの感覚を味わったことがあるので、今の私は、心(精神)が思いっきり肉体(顔の痙攣)に引きずられているのがわかります。


天風先生の言葉だと思うけど


「肉体に引きずられるような心は当てにならない」


そしてそのように悟った天風先生も、ご自身が肺結核に侵されていたときは心が肉体に引きずられていたんです。
その修行の模様がこの「中村天風伝Ⅱヨーガに生きる」に書いてあるのを思い出したので、今これを読んでいます。


心は道具だと言われますが…
私もそう思うのです。でもその心である道具、肉体でさえも今の私は扱うことができてないように思えます。


でも大切な道具を扱えるように練習するチャンスが今ある。

そう思い今、やれることを全力でやっています。



あっ、そうそう。

私が大事にしていることなんですが。


「症状とは闘わない」


です。

闘おうとするとね。

やっぱり知らない間に攻撃モードになるからね。



細胞たちに感謝をしながら、付き合いたいと思いますニコニコスター