【材料】

絹ごし豆腐 (小さ目で3パックセットとかでうってるやつ) 1個
ささみ 1切れ
卵 1個
ネギ 1本
ゴマ
とろろ
かつおぶし
もずく(
チューブのしょうが
けんりゅうの鶏がらスープ

片栗粉 大匙やまもり1杯



水を250ccくらい沸騰させて、手で裂いたささみ、水洗いしたもずく、料理ばさみでバチバチ好きなだけネギを入れて、とき卵投入。

絹ごし豆腐は切ってもいいけど、面倒なので割り箸でばしばし適当に切っていれる。

全体に火が通ったら、鶏がらと塩で味付けして、ごま入れて、水溶き片栗粉を入れてとろみを出して、盛り付け。


どんなものにでも、最高と称されるものがあると思う。

最高のものが確立されているあるジャンルに入ると、2番手、3番手、いろいろ探ってみるけれど、やっぱり最高のものに戻ってしまう。最高のものじゃないと物足りない。

だったら、はじめから最高のものを少しずつ、いろいろなジャンルでたくさん触れていくのが絶対正解だと思う。

ただし、それが最高であるかどうかという諸説が、正しいとは限らないのだけれど。
ヤンソギルさんの小説の映像化ということらしいですが・・・

小説のあとがきではこれは「フィクション」であるということが書かれていたんですね。

どこまでフィクションで、どこまでがある程度事実に基づいているのか、そこが明確であったらもっと評価できたと思います。

もちろん登場人物などは一切実在しなくてもかまわないんです。
対象国がタイでなかったとしても。

ただ、本当に人身売買があのような状況であるのか、子供たちはあんなふうに数百ドルで命を買われているのか、あんなふうに体を売るのかなどなど・・・

せっかくの社会派映画なのですから、ある程度どこが事実かを強調してほしかったです。

そのインパクトが、フィクションの枠のものだったら、見ている側はどこに憤ったらいいのか戸惑うと思います。どんなに感情が動いても、その対象がフィクションに対してだったら、あまり意味がないんです。そういう種類の映画のはずです、これは。

確かに、文学としてあのラストはかなり興味深かったです。でも、ああいうラストにするために、わざわざあそこまでグロテスクな描写でタイの人身売買、児童買春の問題を扱う必要はなかったでしょう。

そこにはある程度、この問題に対する関心と、こちら側への問題提起と、そこから問題改善への願いのようなものすら、こめられていたんだと思います。

だからこそ、「これはフィクションです」といわれたら、私たちはこの映画を見て、どうすればいいのかわからない。映画のHPを見てもわからない。小説のあとがきを見てもわからない。

もしこれが、「NPOなどの取材をへたうえでの事実も一部含まれています。世界には○○人、人身売買や売春に苦しむ児童がいます・・・」などといった情報がどこかにあったら、よかったのだと思います。ドキュメンタリーであれば、そんなのいらないんですが、フィクションとうたっているのであれば、ある程度もっと問題への関心ある態度を見せてほしかったですね。

物語としての意外性、強烈な性描写によるインパクトなど、全体的には映画としてよかったと思います。