20歳から読書の習慣を身につけ、10年間で多数の本を読んできました。
僕よりも圧倒的に本を読み、勉強されている方は世の中に多くいらっしゃいますため、本投稿は完全に僕個人の主観となります。
20歳にアルバイト先の先輩の皆様が大変な読書家でした。
その影響、ご指導を受け、僕自身も月に5-10冊の本を大学時代読み、
社会人になってからも月に3-5冊程コンスタントに読み続けてきました。
音声読書であるAudibleを活用し、月に10冊ほど読んでいた時期もありました。
ざっくりですが、1000冊ほどは読んできたと思います。
そんな自分が昨日、とあることを思ってしまいました。
過去に読んだ本の内容が思い出せない
昨日、facebookから「1年前に投稿した内容です」という通知の表示があり、懐かしいなと思いつつ見てみると、ゴールデンウィークに9冊の本をAudibleで読んだという記録の投稿でした。
その投稿を見て、僕はびっくりしたのです。
大変悔しいことに、それらの本の内容について内容がなかなか思い出せなかったのです。
その衝撃から、僕は次のようなことを考えました。
読書は、考える時間を創出するもので、消費的な存在である。
本は、読書という行為は、読んでいる最中にその本のテーマについて、あるいはその本のテーマと関連する事柄について思考する時間であり、思考した結果行動に繋げていくことが最重要である。
しかし、思考し行動に実践した(または行動するまでに至らなかった)本は、十分にその役目を終えている。
というものです。
もっと簡単に言うと、
「一度読んだ本は、本棚に飾るようなことをしてとっておかず、処分して良い。また読みたいなと思った時に買うなり借りるなりして読めば良い」
というものです。
本は、その本を必死に読んでいる間に考えたこと、行動したことがのちのちの自分の血肉になるため、消費的な考えでもって本というものを見てみても良いのかもしれないという考えが浮かびました。
言い方はかなり極端ですが、
・YouTubeの動画を見ている間、僕らは何か考えたり、時に動画を止めたりして何か行動を起こしたりするが、その動画を見ていない時に何か行動することはあまりない
ということですね。
直接的に影響をもっとも受けている時は、本を読んでいるとき(動画なら動画を見ている時)なので、しっかりと味わって思考し、行動に移したら、その本は役目を終えていると思いました。
賛否両論があるかと思いますが、この気づきは僕なりにかなりすっきりとした本との向かい合い方でして、今後読んだ本は誰かにあげるor図書館へ寄贈等をしようと思いました。









