8月も残り少なくなって、漸く朝夕の陽射しが緩んできた。


7月の土用に入って、早朝から騒がしくコーラスをハモっていた アブラゼミ。


8月 甲子園の歓声に負けず甲高く啼く声に 汗がにじみ出た クマゼミ。


高校野球の決勝戦も終り、朝夕の爽やかさな風に秋を覚えるこの頃、


日中の厳しい陽射しが傾き一息入る時、カナカナ カナーと哀調帯びた蜩の声が聞こえてくる。


子供にとって 夏休みも終り近く宿題をせかす声にも、 


農家の人々には 二百十日の野分けへの 警告にも。



 先日奈良公園で聞いたヒグラシの啼き声に『古都の悠久』を感じた。


今朝、出窓に 蜩が横たわっていた。 あの蜩が我が家を訪れてくれたのだろうか。


      うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲ひつるかも  (大友家持)

                                            
                juvenile filly


            クマゼミ        ヒグラシ      アブラゼミ

 政権にこれだけ執念を持った男も、遂に時間切れでの幕切れとなった。


脱原発ムードを置き土産に。 再生エネルギー(買い取り)法の成立を、お手柄顔に


彼は去って行く。


 近代産業に必要欠くべからざる電力料金の高騰は、製造業の海外への転出を余


儀なくし、国内産業の空洞化は、国民の就業の機会を奪ってしまい、失業による生


活低下は必定である。


 一方 電力料金の高騰は、日常生活の食品、必需品の値上げとなり、(既に消費


物価は可なり上がっている)国民の困窮に追い打ちを掛ける。


 然るに 2年前の民主党のマニフェストを堅持すると、ボスは言っている。


6月2日の不信任案採決の寸前に、「辞める」の空手形を掴まされ、政権維持に加担


した「無能のボンボン」が、またぞろ出てきて、最悪の男を後任に推すと言う。


 国民よ、 目覚めよ。 子供手当の数倍の生活費の高騰が待っているのを。


   久し振りに奈良国立博物館の、”天竺へ三蔵法師3万キロの旅”の展示を見に行きました


                 博物館外苑の芝生で 鹿が落ち葉を食べていました。

         

juvenile filly





     

   玄奘法師(三蔵法師)は629年25歳で須弥山の頂に登る吉夢を見て、天竺へ旅立った。

                   
      
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 645年43歳で唐の都長安に帰り持ち帰った大般若経を翻訳した。

 664年62歳で入滅する。

その後 玄奘法師の一生を弟子が記述した「三蔵法師伝」を、空海が日本に持ち帰り


 鎌倉後期(1309年)頃に宮廷絵師として有名な高階隆兼が、絵巻「玄奘三蔵絵」を書いた。


      今回、この絵巻の展示が行われたのです。




 高階隆兼は、春日権現験記絵を描いた絵師で 春日権現の神の使いとされる鹿が随処に描かれている

     

           (奈良公園に鹿が特に保護されて多くいる理由です)


 玄奘三蔵絵にも鹿が描かれている事から、この絵巻が高階隆兼の作品と推測されている根拠の一つになっている。


                    
           

juvenile filly


  

     興福寺五重の塔の傍にある ”塔の茶屋”で昼食に「茶がゆ弁当」を食べました。

                     (奈良は茶がゆが常用されることで有名です)

       

           店から出た時、茶屋の庭に、雄大な角を持った鹿が待っていました。


         

           

     興福寺国宝殿も拝観し、阿修羅像で有名な八部衆像、十二神将立像等新装成った展示に


     改めて感銘を受けました。

     
     


     3万キロの苦難の旅路の末、天竺から経典を持ち帰り、東アジアに大乗仏教を広めた

     玄奘三蔵法師の姿を綴った 全12巻の膨大で、華麗なやまと絵巻ですので、


        時を見て、順次アップしたいと思います。


                                          参考文献;展示会図譜


   

今日の日経新聞の文化欄に、東北学院大学教授 河野幸雄氏の興味ある研究の

一端が記載されていた。


 『今回の大災害とそっくりの平安時代の貞観地震・津波(869年)の天変地異で、

仙台湾の海底に沈んだと言われている大根島』について関心をもち、1999年から100回潜水探索し、”大根明神の祠”を 水深10~15m付近で見つけられた。


 この言い伝えを持つ『花渕浜の漁師らは「大地震と津波では、島が沈むほどで防波堤は役に立たないとに角逃げるしかない」と肝に銘じており、実際この度もいち早く高台に逃げ、全員無事であった』とある。


 『菅原道真の「日本三大実録」に、貞観津波が今の宮城県から福島県相馬市まで100km以上の海岸線に押し寄せ、内陸に7kmも入り込んだ点、今回の大津波と全く同じである。』


『日本列島では今、まさに9世紀に起きた天変地異が繰り返されている』


さらに『2000年以降に起きた三宅島の噴火、新潟県中越地震、岩手・宮城内陸地震.・・・・・は、古文書の9世紀の地震(の発生)とほぼ同じであり、9世紀にあって今回無いのは、富士山と鳥海山の噴火ぐらいである』と。


教授は、今年2月25日塩釜市内のホテルで講演し、『いつかこのホテルにも押し寄せてくる。遅くとも2040年までには』と話した2週間後に大地震・津波が起ってホテルも津波にやられた。


この一文を読んで、

 地震予報の研究は1200年前とは格段に進歩しているに違いないが、その人的被害は 1200年前と変わっていないのである


 淡路阪神地震の前年、京都花折れ峠地区に内陸型地震あり、その後北摂能勢・丹波篠山地区に微小地震が頻発した事実があり、地震観測装置が設置されたが、地震の発生の長期予報としては、東海、東南海、南海地震発生の話の陰に隠れて、噂さへ無かったのである。


 更に 福島原発事故による校庭の放射性物質汚染が話題になっていたのに、肉牛飼料の稲藁の汚染が全く話題に無く、セシュウム汚染の稲藁が遠く秋田県、栃木県那須、岩手県まで販売され、人的に放射性汚染が拡大されたのは、普通では考えられないことである。


 (食肉生産が、東北地方の重要な産業であった事は、鹿児島の黒毛和牛や口啼病で有名になった大分牛、但馬牛、松坂牛を持つ関西では、あまり知られてなかったのであるが)

 

 思うに、縦割り行政云々と言う以前に、専門以外にも、 広くものを見、広い知識を蓄え、「総合的に判断する思考過程に欠けているのが、最近の傾向であり

優秀なエリート集団とい言われる原子力安全委員会・東電原発関係者に

『木を見て、森が見えない 人間性は重大な問題である。

                     (この事については、項を替えて述べてみたい。


以上の事より、東日本災害は果たして、「想定外」の天災だけであったのだろうか。

と思うのである。


               

 

8月9日は、長崎に原爆が投下された日。 原爆犠牲者慰霊と平和を祈念しての式典が行われた。


昨日は強い陽射しに照りつけられ、汗の乾く間もない猛暑日であった。 思えば66年前の8月9日も好天の暑い日であった。


式典の始まる頃、長崎は小雨が降って、平和祈念像を映し出すTVのカメラに水滴がかかり、恰も原爆犠牲者の萬恨の涙かととれたのである。


核保有国イギリス、フランス、ロシアを始め 世界の44カ国に交じって、原爆投下国米国の代表が初めて参列する中、田上市長の開会宣言が行われ、菅首相が平和祈念の挨拶を行った。


(1955年 ラッセル、)湯川、アインシュタインによる核兵器廃絶・科学技術の平和利用の宣言に、(1977年湯川、朝永博士の参加に刺激されて、政治に志したと。


註 アンダーラインが正しい。 太字は挨拶文言


日本国憲法非核三原則を堅持すると。


福島原発の事故原因検証と安全確保のための抜本的方策を講じ、核に依存しない社会を目指す努力をしてきたと。


原爆犠牲者の御霊や、今なお原爆の後遺症に苦しむ人々への真摯な言葉は聞き取れなかったのである。

聞くものをして如何にも空しく響き、遺族や被災者、その家族ら参列者の無表情さが写し出されていた。




時と場所を弁えず、自己宣伝に終始するにすぎない一幕であった。


同日の夕刊や、翌日の朝刊にも取り上げられてないのを見ても、その空虚さが推察される。