バード、パリッシュ、マクヘイルを揃えたセルティックスは80年代の黄金期を迎え、アーチボルドも先発ポイントガードとしてこの時期のチームを支えた。1981-82シーズンには平均12.6得点8.0アシストをあげ、2年連続オールスターに出場。1982-83シーズンには平均10.5得点6.2アシストを記録した。チームも好調だったが、プレーオフではライバルチームの76ersやミルウォーキー-バックスに破れ、優勝には届かなかった。
フリーエージェントとなったアーチボルドはミルウォーキー-バックスと契約したが、歴戦の疲れを隠せなくなり、1983-84シーズンの出場は46試合に留まり、成績も平均7.4得点3.5アシストだった。アーチボルドはこのシーズン限りで引退し、14年間のNBAキャリアに終止符を打った。
引退後-社会貢献[編集]
アーチボルドは引退する前の3年間、オフシーズンを利用して母校テキサス-エルパソ大学に通い、学士号を取得した。1990年にはフォーダム大学の夜間学校に通い、教育関連の研究分野で修士学位を取得している。引退後のアーチボルドはコートから教育の世界に戦う場所を移した。バックスで引退を迎えると故郷ニューヨークに戻り、貧困地区の子供たちを対象としたバスケットクリニックを開催。日中はハーレムの公立中学校でドラッグ-カウンセラーとして働き、夜間はスポーツディレクターをしていたホームレス避難所で過ごすなど、青年教育と社会貢献に力を注いだ。彼の活動は1993年に当時のニューヨーク市長、デビッド-ディンキンスによって表彰されている。現在も熱心な活動を続けながら、博士号の取得も目指しており、もし取得に成功すれば「偉大な50人」唯一の博士となる。