下からにょっきりと伸び上がる複数本の銀のパイプが、天井からブドウの房のようにぶら下ったいくつかの照明の光を反射させて一条のラインが浮かび上がっている
俺の体が音に合わせてゆらゆら揺れると、そのラインもまるで俺になついているかのように淡い光を保ちながら俺の動きについてくる
このラインの存在はどんなもの?
綺麗で美しい?それとも眩しいだけ?目障り?あったほうがいいのか、できればない方がいいのか、感じ方は人それぞれ
一つ確実に言えるのは、この一条のラインは作為的に作られたものではないと言う事だ
巨大な銀のパイプの造形物も照明も人の手によって作られたものなら、この一条の光のラインは人が作り出した副産物とでもいえるだろう
俺はその光のラインを演奏が終わるまでボーっと眺めてたのだから、俺にとってはその光のラインはあったほうがよかったのだ
何本も並べられた巨大な銀のパイプの最低部では、まるで祭壇の上に生贄として捧げられた生き物が、鉄板で炒られてる豆粒のようにもぞもぞと動いて見える
しかし、この強大な造形物を支配しているのは、そのちっぽけな人
この見えるか見えないか位の小さな人間が、現在サントリーホールの空気の振動の支配者、つまり脳なのだ
前回のコンサート
にトラウマがある俺は、このサントリーホールの壁からハーレーのマフラーのように垂直に突き出したパイプから、法螺貝の音や本当にハーレーのエンジン音のような音が出たらどうしようかと思っていた
なぜならこのコンサートは無料だから
でも・・・・いたってまともだ
パイプオルガンの生演奏は初めて聴くが、実に面白い
高い音はフルートのような音、中間はオルガンさながら、低音は少し攻撃的?
それぞれの音が絡み合いまぐわう感じがいやらしくも妖艶である
一つ残念だったのが、曲目の殆どが編曲物だったこと
一曲目はワーグナーのワルキューレのキコウ(漢字忘れた)だったんだが、パイプオルガンでの表現だとなんだか音足らずかなと。。。10本の指であの重厚な演奏を表現するのは無理があるような気がするんだよな
個人的にはバッハの4声のフーガや平均律を聴いてみたい
高い音と低い音で違う楽器のような音が鳴るから、一声一声の音を拾って聴いたらなんだか面白そうだなーって
初めて聴くパイプオルガンの演奏は、その巨大な外観に見合った刺激があったのは間違いなかった
光のラインの副産物も俺にとっては、きっとあったほうがよかった
しかし、人が不作為に作り出す副産物は、その殆が望まれていない・・・・
あれから一年
テレビのニュースを見るたびに、日本中の偽善者に辟易する
「復興を心から願う」「日本中が一つになる時」???
反吐がでるとはこの事だ
散々綺麗な言葉を雛人形のように並べておきながら、いざ自分たちの市町村に震災瓦礫がくるとなれば、住民あげての反対運動
おかしいよな
本当に日本中が一つになるなら、住民をあげて震災瓦礫受け入れ運動が起きたっていいはずだ
その言葉が本心からでているなら
でも、気持ちはわからなくもない
日本の行政の隠蔽体制を信用できない、だから瓦礫の安全性も信用できない
自分たちの平穏を守りたい
結構なことです
でも二度と、「絆」とか「支えあい」「助け合い」なんて言葉を口にしてほしくない
この人たちにはもっとお誂えの言葉がある
「対岸の火事」とかちょうどいいんじゃない?
さながらこの人たちの今の心境は「強風の対岸の火事」とでもいうべきだろうか
住民あげて火の粉を飛んできたほうに追い返そうとしているのだから
じゃあ俺は被災地のために何かしてるかと問われれば、別に何もしていない
募金くらいはしたけど、それは皆がしてるからなんとなくしただけ
本当に被災地の事を思って心からしたわけではない
そんな俺でも、自分の街に震災瓦礫が来るとなれば、反対運動はしない。面倒だしな
勝手に燃やしてくれと言う訳だ
だからと言って受け入れ運動をしようとも思わないのが、本当のところだが
そんな中、島田市議会は瓦礫受け入れを議決した
島田市長桜井勝郎氏は、桜井資源株式会社という産廃処理業者の元社長らしい
市長は善い行いをしたと、意味不明なコメントをしていたが、例え腹の中にどんな思惑があったとしても、行動で示した島田市議会は評価に値すると思う
もちろん、一部の島田市民たちは反対運動をしているのは言うまでもないが
「瓦礫受け入れ断固反対」なんてプラカードをぶら下げてね