なんとも
最後に祖母に会ったのは十年以上前で
大学入学する前あたり
叔父が新しく家建てて祖母連れて引っ越して
わたしの馴染みのあるあの家にはもう誰も居なくて
親戚づきあいが嫌だったのか
まわりの親戚フルシカトしてたみたいで
本家も匙投げてたようで
うちの母親も連絡取ろうとしてなかったし
わたしが結婚した時も知らせなくていいって言うからそのようにしてて
昔から折り合い悪かったせいもあるんだろうけど
母親は祖母の悪口ばかりだったし
それでも倒れたって連絡あったら見に行くんだね
何故かわたしは置いてけぼりくらったけど
初孫置いて行くなんてヒドイ
日曜に弟からその話を聞いて
今日祖母に会いに行って来た
電車で行くつもりだったけど父親様がお車に乗せてくださった
なんて甘い御父様なんでしょう
田舎の重苦しい雰囲気の病院
こちらの梅雨明けも間近で窓から見えるのは夏の空なのに
冷たい感じの病院
一人部屋で一人で寝てた祖母
もう骨と皮しか無かった
もう起き上がることも、むしろ寝返りうつことも出来ないんだろう
歯も抜けて食事もおそらく取ってない
わたしの覚えてる祖母はふくよかで母親はデブって言ってた
そんな祖母がたぶん30kg代の体重だろう
酸素も繋いでいたから呼吸も弱まってる
母親が覚悟しろと言ってたけどこれほどとは
寝てるのか、起きてるのか良く分からない
声をかけても反応がない
細くなった手を握ったら目を開けてくれた
目が合ったら笑ってくれた
誰かわかる?って聞いたらうなずいてくれた
声を出す筋力もないんだろう
握り返してくれた手はまだ力があって
少しだけ安心した
思い出話と食事をしっかり取って体力つけるようにとまたくるねって言って
たぶん15分くらいで退出
最後に祖母は精いっぱいの声を出してくれて
かすかにありがとうって聞こえた
その後のセリフは何て言ったのか聞き取れなかった
とてもとても変わり果てていたけど
口元に手をやる仕草とかはやっぱり祖母だった
かすかな声も祖母の声だった
どういう経過を辿ってきたのかを知らないから
ただ祖母が哀れで仕方ない
今の病状も知らないから
大きなテレビの音の中で一人で寝ていた祖母が哀れで仕方ない
安定しているから近くの家族は居なかったの?
わたしには今にも召されてしまいそうで
このまま目が覚めないんじゃないかと思えるほどだったよ
なんでまるまるとしていた祖母があんなガリガリなんだよ
めちゃくちゃ責めたいよ
まだ73歳だし
世間の70代ってイキイキしてる人が多いのに
油断してた
長いこと放ったらかしにしてたくせして
後悔だけはいっちょ前にするから
一度出た涙は止まんない
思い出話を少し
弟が産まれる時、祖母の元に預けられてて母親が渡したお金でおもちゃを大量に買わせた
後々母親に怒られる
祖母は親戚の工場で働いてたから終わる時間にお迎えに行く
嬉しそうに出てきてくれる
わたしは祖母が40歳の時に産まれた孫だから
おばあちゃんじゃなくてかぁちゃんって呼んでた
夏には目の前の川で大きな花火大会があるから
特等席で一緒に見てた
海に行ってはまぐりも取った
海は危ないからってくるぶしまでしか入れない
腕をがっちりロックされて先に進めない
お祭りの時ににしきのあきらが来たのを見に行った
わたしの初げーのーじんはスターにしきの
よくわかんないけど、顔の産毛を裏のパーマ屋で剃られた
母親は驚いたらしい
東向きの物干し場は日当たりイマイチで洗濯物は生乾きのニオイ
寝るときは基本テレビつけっぱ
一緒に寝ていたけど寝顔見られるのが恥ずかしくて潜って寝た
ウルトラマンのカセットテープ買って一緒に聞いた
演歌も聞いた
買い物行ってサツマイモの天ぷら買ってもらって
帰り道歩きながら食べる
ライスカレー
お祭りの時にはぐれたらいけないからがっちり手を握られるのが汗かくし痛いし嫌でなんとか離してほしかったんだけどダメだった
でも今日はそんな力なんて無かった
今以上良くならないだろうと思ってる
退院する時はそういう時だって思ってる
夏を越すどころか盆までもつかどうかって話なんじゃないかって
盆に帰ってきた祖父が連れて行ってしまうんじゃないかななんて思ったりもする
ひ孫抱かせたいとかのんきに考えて居たのに
このままながらえていても本人はしんどいだけなのかも
それでも心臓が止まらないで居てほしいって思うのは無責任な孫って立場の人間だからかね
何が最適かなんて誰も答えだせない
でも祖母は15年間くらいしか夫婦やれなかった祖父にはやく会いたかったりするのかな
かぁちゃんのこと思いつくままつらつら書いてみた
思い出すことはまだまだ色々ある