非常に刺さる内容の作品です。

 

真実と架は恋人同士の関係です。二人は真逆の人生を歩んできました。

 

真実は過干渉の親の元、育ってきました。何事も親の言う通りにしなければいけないという強迫観念にとらわれていると思います。

 

そして、付き合ったことのある人数も少ないです。

 

架は非常に自由に育てられており、たくさんの女性とも付き合ってきました。

 

私は完全に真実側の人間です。だからこそ、非常に共感できる部分が多かったです。

 

「傲慢と善良」というタイトルの伏線回収が非常に良かったです。自己評価が高いことによって、相手に高い条件を求める傲慢さと、親の言う通りに生きてきた良い子ちゃん部分の善良さが混在しているというのが本書のテーマです。

 

一億総中流という言葉があります。日本の大多数の人間が自分を中流階級だと感じているということを表してる言葉です。

 

そのせいで、日本では嫉妬が起きやすく、なおかつ傲慢さと善良さを両立させる人間が多くなったのではないかと感じます。

 

だから、海外で本書を翻訳して発売すると、日本ほど刺さる人はいないと思います。

 

では傲慢さと善良さを両立させている人間はどうすればいいのでしょうか。

 

その対処法みたいなものは本書に記載されていなかったので、個人的に考察していきたいと思います。

 

まず、自分自身が傲慢さと善良さを兼ね備えている人間であることを認める必要性があります。己の負の部分と向き合うことは非常にしんどいですが、やったほうが確実に自己成長につながるといえます。

 

その上で傲慢さについては、単純に自分を客観視すればいいと思います。本書ではこう指摘されています。

 

「みんな、自分のパラメータの中のいい部分でしか勝負しないんだよ。」(p.156)

 

自分の劣っている部分に関しては目をつぶり、自分の良い部分と相手女性や相手男性を比べてみんな合コンしたり、婚活したりしているといえます。

 

私は合コンすらしたことないので、なんともいえませんが、本書の指摘は事実かと思われます。

 

本書の指摘のような行動をしていると、以下のような思考になります。

 

「なんで自分だけ彼氏・彼女いないんだよ。相手の見る目がない。」

 

はい。完全に私のことですね笑 でも、共感者はいるのではないでしょうか。

 

自分を過大評価せず、客観的に自分を見直して恋愛していきたいものですね笑

 

次に、善良さについてです。

 

これについても本書で指摘されています。

 

「だけど、真面目でいい子の価値観は家で教えられても、生きてくために必要な悪意や打算の方は誰も教えてくれない」(p.162)

 

過干渉の親を持っている場合、親が前もって子供の失敗を取り除きます。しかし、これが非常に悪手です。

 

日本人全員が真面目で良い子の世界ならいいですが、そうではありません。悪意を持った人間は必ずいます。

 

というか、悪意を持ったことのない人間なんてそもそもいません。ということを念頭に置いておけば、人に期待せず立ち振舞いをすることができるでしょう。

 

誰も教えてくれないというより、そもそも打算や悪意は教えるものではありません。自分一人で環境に向き合い、作中でいうところの悪意と打算の塊である架の女友達と関わることによって、悪意や打算を学んで行くのだと思います。

 

だから、過干渉の親を持つことは非常に危険だといえます。「可愛い子には旅をさせよ」ということわざは、言い得て妙だといえます。

 

こういったことを念頭においていくと、傲慢さと善良さは自分で多少調節できるものではないでしょうか。

 

それに加えて、前半は架が傲慢、真実が善良でしたが、後半は架が善良、真実が傲慢さを発揮しています。

 

たくさん経験を積んできている架にも善良さがあるし、親の庇護下で育ってきた真実にも傲慢さがあることを示しています。

 

真実は架と結婚するために「ストーカー被害にあっている」と嘘をつきます。これが真実の傲慢さと打算の部分です。

 

しかし、こうした打算の部分は、すぐに架の女友達にバレてしまいます。この部分は読んでいて非常にしんどかったです。

 

ラストシーンで架と真実は結婚式を挙げるのですが、真実が二人きりで式を挙げようと提案し実行します。

 

親の意向を無視し、真実自身の善良さを脱ぎ捨てた良いシーンだといえます。

 

本作は日本人特有の心理をついた良作だといえます。