非常に面白い考え方をする本です。

 

職場にいるときの自分、恋人といるときの自分、友達といるときの自分、家族といるときの自分。すべて違う顔を持っていることに違和感を持っている人はいませんか?

 

私は恋人がいたことないので恋人に関してはなんとも言えませんが、職場にいるときの自分、友達といるときの自分、家族といるときの自分は全部違う人間になっている感覚があります。この感覚に違和感を持っていました。

 

しかし、本書を読むことによって、「場によって、それぞれ違う人間でいい」と割り切ることができました。本書ではそれぞれの時の自分を分人と評しています。

 

しかも、それぞれの自分全てが本当の自分だと本書で述べられています。

 

初対面の方に接する時の自分を「社会的な分人」と評しています。そこからその人と仲良くなったりすることで、社会的な分人から個人的な分人へと変化するらしいです。

 

初対面の方との最初の会話が死ぬほどつまらないと私はずっと感じていました。天気の話、職種の話、相手の趣味の話などなど。

 

しかし、これはまだ社会的な分人をやっている最中なんだと割り切ることによって、少しは楽に会話をできるかもしれません。

 

一連の変化の流れとしては、以下の通りらしいです。

 

社会的な分人→グループ向けの分人→特定の相手に向けた分人

 

ちなみに、八方美人な人はある意味分人化できていないと書かれています。なぜなら、すべての人に対して同じ自分で接しているからです。

 

これは分人化していないといえます。誰に対しても同じ態度で通じると勘違いしている人たちらしいです。

 

確かに一人ひとり価値観は当然違うので、好みのタイプも変わってくるでしょう。

 

よって、八方美人な人はグループ向けの分人はできているのですが、特定の相手に向けた分人化ができていないことになります。こうなってしまうと、「自分だけじゃなく、みんなに対してあんな態度なのか!」となるらしいです。

 

これだと知り合いはできても、友達や親友はできないことになります。人間はやはり誰かに特別視してもらいたいという感情があることの証明でもあります。

 

私はコミュニケーションが苦手です。その場合、話術の不足ではなく、相互の分人化の失敗なのではという考察がなされていました。

 

非常に刺さりました。無理に個性を出そうとする癖が私にはあります。しかし、それは逆にいうと勝手なペースで分人化を進めようとしているだけなのではということが書かれていました。

 

それでは相手が勘違いして当然です。私がいつも誤解されてきた原因がようやく明らかにされました笑

 

ここで私の敬愛するアニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』の平塚先生のセリフを導入したいと思います。

 

「考える時は、考えるべきポイントを間違えない事だ。」

 

私の場合、好き嫌いがはっきりしているタイプなので、八方美人の問題に関してはあまり考える必要はないでしょう。しかし、無理に個性を出して分人化に失敗している面に関しては考慮すべきかと感じました。

 

自分の痛いところをつかれるのは正直しんどいです。なるべく考えたくありません。しかし、痛いところだからこそ、しっかり問題と向きあうと自分に大きな変化が巡るでしょう。

 

映画『羊たちの沈黙』でもこういっています。

 

「苦しみ、もがき、痛み痛みを愛せ(HURT, AGONY, PAIN, LOVE IT)」

 

私はこれからも痛みを愛して、しっかり問題と向き合っていきたいと思います。

 

そして、個性は分人の構成比率によって変わってくるという文も刺さりました。それぞれの人間の個性が固定されているものではなく、常に変化し続けているという考え方は非常に新鮮でした。

 

世の中には騙したりする人間がいます。そういった人たちは常に相手の複数の分人に公開されている、つまり、違った文脈で他の相手に伝わる可能性を考慮すると騙さないようになると書かれてありました。

 

つまり、事実に尾ひれがつくという状態になります。非常に納得しました。

 

非常に多くの学びを得た本となりました。感謝します。