監督 トニー・ケイ(英語版)
脚本 デイヴィッド・マッケンナ
出演者 エドワード・ノートン
エドワード・ファーロング

 

 

神作です。
 
本作では白黒のシーンとカラーのシーンが存在します。単純に過去のシーンは白黒で、現代のシーンはカラーであるわけではございません。
 
白人至上主義のデレクがネオナチの思想に染まっている時は白黒で、染まっていない時はカラーで描写されています。だから、序盤~中盤で登場したカラーのシーンは、ネオナチの思想に染まっていないことになっています。
 
このあたりの構成が本当に素晴らしいです。時系列をあえてずらすことにより、「デレクがなぜネオナチのグループを脱会したのか?」という一つの謎を生み出すことができます。
 
もし時系列をずらさずそのまま映画が進んでしまうと、デレクがどういう経緯で思想が変わりネオナチのグループを脱会したのかがまるわかりです。
 
デレクは黒人を殺した後、刑務所に入れられ、その中での黒人の出会いにより考え方を改めます。
 
つまり、良い白人や悪い白人もいるし、良い黒人や悪い黒人もいるという考え方になります。
 
弟のダニーは黒人の手によって、殺されてしまいます。
 
ラストのダニーのレポートの言葉を以下に引用します。
 
「憎しみとは重荷であり、怒りに身を任せ続けるには人生は短すぎる。怒りにそんな価値はない。」
 
「怒りは、君を幸せにしたか?」というセリフも本作で登場します。怒ったり憎しみ合ったりすることは無駄でしかありません。そして、余計な感情です。
 
捨て去るべき感情なのですが、どうしても負の感情が沸き起こる時もあるでしょう。その時は、本作のセリフを思い出せばいいでしょう。
 
ダニーのレポートにはリンカーンの就任演説の言葉も引用されています。
 
「我々は敵ではなく友人である。敵になるな。激情に溺れて、愛情の絆を断ち切るな。仲よき時代の記憶をたぐりよせれば、よき友になれる日は再び巡ってくる」
 
自分と近しい人間であればあるほど、喧嘩をしたりいがみ合ったりすることがあるでしょう。しかし、リンカーンも発言している通り、仲良き時代もあったはずです。それは、友人関係であったり、兄妹や姉妹の関係であったり、親子の関係であったりします。
 
皆さんにも昔仲良かったけど、今は疎遠な人物がいると思います。我々が抱えている人間関係の悩みの大きさは、本作で語られる白人と黒人の間の亀裂の大きさよりも小さなものです。
 
また仲良くなれる日が来るでしょう。
 
最終的には兄のデレクも弟のダニーも、違うルートを辿ったとはいえ、白人至上主義の考え方を改めます。
 
今でも差別主義者の白人や黒人は存在すると思います。しかし、周りの現実が変わらなくても自分の思想は変えることができます。
 
本作でいうと、ネオナチのグループの一員は未だに白人至上主義に取り憑かれていると思います。しかし、デレクは白人至上主義から抜け出すことができました。
 
私達も周りの人間や環境が変わらなくても、自分を変えることができると思います。
 
素晴らしい映画でした。私の心の中に一生刻み込まれる映画となるでしょう。