テーマ:母親としての使命

 

Vol.1の派手な戦いとは違い、Vol.2ではかなり湿っぽい展開となった。

 

我が娘を殺し屋の世界から遠ざけたいという思いがあるためビルから逃げ出したというのが、一連の事件の真相である。

 

敵の殺し屋も意外に人情味があって良かった。その敵は女性の殺し屋なので、同性のキドーに共感でき、キドーを殺さずにしたのだろう。

 

主人公であるベアトリクス・キドーは、ビルが死んだ翌日泣いたがすぐ泣き止み、その後娘と一緒に笑い合うシーンがある。このシーンから女性は切り替えが早いと感じる。

 

しかしながら、ビルの気持ちも分からなくもない。いきなり自分のもとから逃げ出したら意味不明である。

 

中絶という方法も存在するが、キドーの頭の中にそんな考えはなかったようだ。女性がおもにいる場所は家であるため、同じ生活圏内で過ごしている娘が夫より思い入れの強いものになるのは理解できる。

 

父親がおもにいる場所は職場だからだ。しかし、父親も娘に対する愛情は間違いなくあるのである。

 

それは母親が示すようなわかりやすい愛情ではなく、陰ながら応援しているという類いの愛情である。だからこそ、ビルが死んだときは、かなり呆気なく感じた。

 

殺し屋の世界で生きている以上、キドーは「なぜ自分がビルに殺されかけられているか」はわかるはずである。わかるはずなのだが、Vol.1でそれを明かすとVol.2がいきないので伏せる形をとったのだろう。

 

 

 

ビルもキドーもお互いを愛し合っていたからこその愛憎が生まれたのである。深く愛していたからこそ、憎しむときは人一倍憎しみあう。

 

しかし、自分が憎しみを向けている相手を殺したのに、なぜかその相手がいなくなって人一倍泣く。

 

人間の感情はつくづく不合理にできている。

 

ユマ・サーマンをひたすら押し出して、かっこいいアクションを魅せるだけの映画だと思っていたが、そうではなかったようだ。

 

良い意味で期待を裏切ってくれた。

 

良作だった。クエンティン・タランティーノに感謝をする。