セネカ(著), 中澤 務(翻訳)

出版社:光文社

 

人生の短さについて

 

テーマ:より少なく、より良く

 

自己啓発系の古典はやはり刺さるものがある。

「みんなお金の大切さには気づいているけど、時間の大切さには気づいていない」という主張は全くもってその通りである。私もスマホにかなりの時間を浪費したりしている。そして、過去を振り返ると自分の欠点がわかり、その欠点をフィードバックすることで、より良い人生を送ることができるのを知っているのにそれをしない。なぜなら、それをすると過去を悔いる気持ちが生まれ、不愉快な気持ちが生まれるからである。しかし、過去の自分と向き合わなければならないのである。

 

本書では「先延ばしは人生最大の損失だ」と公言している。なぜなら、未来を担保にし今という時間を犠牲にする行為が先延ばしをするという行為だからだ。ずっと頭のなかにやらなければならないことを思い描きながら、他の作業をする行為は明らかに楽しんでないし、少なくとも「自分の時間を生きているか」と問われれば、否だといえるだろう。セネカは「英知にふれ、その英知が示す通りに行動することが人生をうまく生きるコツだ」と述べている。その際、ソクラテスやデモクリトスの名前が出てきている。つまり、過去の偉人の言葉にふれ、その言葉通りに行動することの重要性を説いているのである。

 

母ヘルティアへのなぐさめ

 

※括弧書きの部分は本作を引用している部分です。

 

個人的に好きな章です。

 

「たえざる不幸は、ひとつの恩恵を与えてくれます。──たえず苦しめ続けることによって、ついにはその人を頑強な存在にしてくれるのです。」

 

良いセリフです。辛い経験をしている人間ほど逆境に強いといえます。逆に、幸せな思いばかりしている人間は最も軽い災難の一撃で、崩れ落ちれば良いともいっています。セネカは幸福な人間に対して嫉妬しているのでしょうか?

 

「われわれの外部で起こることは、それほど大きな影響を及ぼしません。よいことであれ、悪いことであれ、それが大きな力を持つことはないのです。」

 

我々はいつも悩む必要のない外部のことで悩んだりしています。仕事がうまくいかなかったり、暇を持て余したり、彼氏や彼女ができなかったりといろいろ悩みの種類は存在するといえます。しかし、前述した悩みは全て外で起こっている事柄です。セネカはこう続けます。

 

「賢者は、順境に有頂天になることも、逆境に意気消沈することもありません。なぜなら、賢者は、できるかぎり自分自身に頼り、すべての喜びを自分の中から引き出せるように、つねに努力をしているからです。」

 

外の世界で起こる悩み事をうじうじ考えるのではなく、自分の内的世界を見ることの大切さを説いています。幸せは自らの肉体のみで作り出すことが可能だと主張しています。ショーペンハウアーも似たような主張をされています。

 

「順境にあっても思い上がることのない人は、たとえ状況が変わっても、落ち込むことはありません。」

 

常に浮かれず、平常心を保ったまま生活することの重要性を説いています。穏やかな生活が一番幸せであることを示しているのかもしれません。

 

「貧困は悪ではなく、精神のありかたのほうが大切である」

 

世俗的なものを喜ぶのは、心が狭い証拠だと断じています。人間としての「徳」を重要視されているのではないかと思います。

 

「徳があれば恥辱にもたえることができる」

 

どれだけ嫌がらせを受けたり、嫌味を言われたりしても、人間としての徳があるという確固たる軸がしっかりしていれば、自らの心が折れることはないともいえます。自分が正しいと思っていれば、メンタルは傷つかないでしょう。

 

「学問は、あなたの傷を癒し、あなたの悲しみを、すべて取り去ってくれるでしょう。」

 

我々が抱えている悩みや問題は既に哲学者たちが答えを出しているといえます。その先人たちの知恵をフル活用するために、本を読むことは大切なことであるといえます。

 

心の安定について

 

※括弧書きの部分は本作を引用している部分です。

 

セネカの親友であるセレヌスが、セネカに対し悩みを告白する手紙を送るところから始まります。

 

「閑暇を持て」というメッセージをセネカは送りました。ここでいう閑暇とは、単に「暇な時間を作って怠惰に過ごせ」ということではありません。空いた時間を自分がやるべきことに時間を使うよう意識しろとのメッセージが含まれています。セネカがいうやるべきこととは、「英知に触れ、その英知に従って行動する」ということです。つまり、「本を読め」ということなのでしょう。

 

正しく自分を評価することの重要さも説いています。自分の能力はどうしても過大評価してしまうのが人間です。その事実を受け入れた上で、客観的に自分を見つめ直すことが重要だといえます。セネカはこうも主張しています。

 

「もって生まれたものに逆らうと、努力も無駄に終わるのである。」

 

自分がいくら好きな職業であっても、向いていないものだといずれ徒労に終わることを示しています。向いていないものだと、最初好きであっても、だんだん嫌気がさしてきて嫌いになってきます。私もそういった経験があります。もっと早くセネカの著書に出会っておけば良かったと思います。

 

「まず心に留めるべきは、持たないほうが、失うよりも、はるかに苦痛が少ないという事実だ。」

 

お金をそもそも持っていない人間が日々の生活を送るより、金持ちの人間がお金を手放す状況の方が耐えられないということでしょう。欲望のままにお金を使う人間は非常に危険であることが示唆されています。

 

「自分を幸運とみなす基準をできるだけ低くすれば、より安全であろう。」

 

すばらしい言葉です。幸せの基準が低ければ、どんな状況下でも楽しめる気がします。求めるのではなく今ここにあるものに感謝をすることが、重要なのではないかと感じました。

 

「起こりうるすべてのことを、現実に起こるものと想定して用心する。」

 

うまくいくことしか考えていない人間は、不意の一撃に耐えられないでしょう。あらかじめ備えをしておくことが肝要だといえます。

 

「だれかに起こりうることは、だれにも起こりうる」

 

ネットで誹謗中傷を行ってストレスを発散させている人々が現実世界には存在します。芸能人と同じような不幸が起こることはないとおもいますが、似たような不幸が自分にも起きる可能性があると常に用心する必要性はありそうです。

 

そして、仕事をする際は必ず目的をもってすることが重要だと述べています。

 

「われわれは、なにごとも軽く見るようにし、心を楽にして、ものごとに耐えるべきなのである。人生を嘆き悲しむより、笑い飛ばしたほうが、人間的なのだ。」

 

特に日本人は何かあると真面目に考え込んでしまうことが多いと思います。もっと人生を軽く考えても良いのではないでしょうか?軽く考えることによって、以下のようなことが起こるとセネカは主張しています。

 

「人生の様々な出来事のなにひとつとして、重大だとも、深刻だとも、悲惨だとも思わないのである。」

 

楽観的な思考を得られることを示唆しています。

 

「ひとの生は、懐胎されたときより神聖になるわけでも、過酷になるわけでもない。ひとは無から生まれ、無に帰っていく

 

何か嫌なことがあったり、緊張するようなことがある場合は、「すべては過ぎ去っていく事象でしかない」と思うことが重要だといえます。

 

そして、自分を取り繕わないことが肝要だと主張しています。いつも取り繕っている人の人生が楽しいわけないです。

 

ときには、狂ってみるのも良いともいっています。何事も考えず狂人のように振る舞うのは楽しそうです。

 

しかし、最後にセネカは「揺れ動く心を包み込んでやらぬ限りは、以上の方法は有効とはいえない」といっています。常に自分の心に目を向け癒やすことが前提条件としてあるそうです。