『薬指の標本』(Annulaire, 2005)



自由になんてなりたくないんです。


この靴を履いたまま、標本室で、彼に封じ込められていたいんです。

 



小川洋子の同名小説を、フランスの女性監督ディアーヌ・ベルトランが映画化。

 

監督…ディアーヌ・ベルトラン

出演…オルガ・キュリレンコ、マルク・バルべ、スタイプ・エルツェグ

音楽…ベス・ギボンス

 

 

原作にないシーンや設定が多少あるものの、ほぼ原作を忠実に映像化。

独特の、湿度の高いじめっとした感じ、エロティックな雰囲気がフランス映画にぴったり

 

 



楽譜に書かれた音、愛鳥の骨、火傷の傷跡……。

 

人々が思い出の品々を持ち込む〔標本室〕で働いているわたし——

 

 

 

 

 





ある日、標本技術士に素敵な靴をプレゼントされた。

 

「毎日その靴を履いてほしい。

とにかくずっとだ。いいね」

 

 

靴はあまりにもぴったりで、そしてわたしは……。

 

 

奇妙な、そしてあまりにもひそやかなふたりの愛。

 


 

「そばにいたいなんて、なまやさしいことじゃなく、もっと根本的で、徹底的な意味において、彼に絡め取られているんです」

 



(小川洋子『薬指の標本』)

 

 

 

アンデルセンの『赤い靴』を思い出して、ちょっと恐ろしくもなるんですけど

しかもこの相手の標本技師は、人間までをも標本にしているんじゃないかという疑惑も文章から漂ってきて

そうなると今度はグリム童話の『青髭』。

ただのサイコパス。

でも主人公は完全に安心しきっていて、彼に身をゆだねている。

そこがいいなと思った。


それが愛なら…


考えることも、逃げることもさせてもらえず

その腕の中で、私をどうするかは、私の運命は、相手次第。その大きな力。

それに身をゆだねていられるのって、最高に安心するから。

このままその胸にずっと、閉じ込められてもかまわない。

 

 

 

 

 

  長い廊下を進み、樫の木の扉の向こうに消えてゆく二人の背中を、わたしは見送った。

肩に回した白衣の腕は、髪や背中や首筋を全部包み込んでいるかのように、大きく見えた。彼女は模様のある頰を、彼の胸に押し当てていた。二人はゆっくりと歩いた。

  浴場でこの靴をはかせてくれた時、彼の手はあんなに優しかったかしら、とわたしは胸の奥でつぶやいた。わたしは革靴の先で床を小さく叩き、あの時のふくらはぎの感触を呼び戻した。そしてその同じ指が、頰の模様を細密に撫でてゆく様を、繰り返し思い浮かべた。

 

小川洋子『薬指の標本』新潮文庫 (57項)